2006年

No.045 (2006.12.12)

  もっとコラムを頻繁に更新しなさいとよく言われる。まったくその通り。一言もない。来年からはもう少し余裕のある生活を目指そう。コラムもせめて、週に一度くらいは更新したい。

知人から6匹のプラナリアをもらった。和名はナミウズムシ。知っている人も多いと思うけれど、二つに切れば二つの個体になり、三つに切れば三つの個体になり、無数に切れば無数の個体になる扁形動物だ。自ら分裂することもよくある。つまりクローン生物。

そう考えると不思議だ。人を含むほとんどの動物は、細胞の分裂に回数の制限がある。テロメアだ。これを超えたときに老化が始まる。でもプラナリアの分裂に制限はないようだ。ならばテロメアもないのだろうか。まさかそんなはずはない。だってそれじゃあ不老不死だ。時間ができたら調べてみよう。

玄関の靴箱の上に置いた小さな水槽。真夜中に時おり、ぼんやりとプラナリアの緩慢な動きを眺めている。まだまだ世の中、わからないことだらけだ。



No.044 (2006.11.2)

  150億年前、宇宙は無から始まった。地球の誕生は46億年前。人類の発生は、何をもって人類と見なすかで相当違うけれど、アウストラロピテクスは300万年前で、北京原人は50万年前、そしてクロマニヨン人は3万年前だ。

世界最古といわれるメソポタミア文明は紀元前3500年。宇宙の歴史に比べればつい最近。人の一生など瞬き以下だ。

時おり星を見ながら考える。あの星のほとんどは恒星だ。つまり太陽のように自分で光る星。地球からの距離は光年単位。おとめ座のスピカは260光年だし、さそり座のアンタレスは500光年だ。

つまり僕らは今、260年前にスピカが発した光を、あるいは500年前にアンタレスが発した光を目にしていることになる。これを逆から言えば、スピカでは260年前に地球が反射した光を、アンタレスでは500年前に地球が反射した光を見ることになる。

もしもこれらの星から途轍もない倍率の天体望遠鏡で地球を見たとしたら、それぞれ260年前と500年前の地球が観測できることになる。

地球から17光年の距離にあるわし座のアルタイルから見れば、17年前の地球が見える。もっともっと倍率を上げれば、レンズの中には、17年前の僕がいる。

理屈ではそうなる。つまり僕(だけじゃなくてあなたも含めて世界中の誰もが)は、この宇宙に遍く存在していることになる。いや正確には、「世界中の誰もが」などのレベルじゃない。150億光年先の星が地球から観測できるということは、宇宙はその歴史のすべての瞬間を、この宇宙全体に、光子として湛えているということになる。

そこにはすべてがある。ビックバンも宇宙の晴れ上がりも、太陽系や地球の誕生から人類の発生、イエス・キリストが生まれた瞬間や仏陀入滅の瞬間、クレオパトラがシーザーにキスした一夜や劉備と諸葛了孔明が始めて会ったとき、リンカーン暗殺の瞬間やベルリンの壁崩壊など、あらゆる出来事が、この宇宙に記録されている。もちろんそんな歴史的イベントだけではなく、あなたや僕が生まれたときの両親の笑顔。あなたや僕が初めて恋したときの胸のときめき。そんな些細な瞬間も、この宇宙には記録されている。仮にその瞬間が今から21年258日と12時間28分46秒前ならば、この地球から光が21年258日と12時間28分46秒で到達する距離まで飛行して、巨大な倍率の望遠鏡とともにくるりと振り返れば、そこにはその瞬間のあなたや僕がいるはずだ。

物理的に観測できるかどうかはともかくとして、少なくとも光子は宇宙空間を飛び続ける。そこにはすべての歴史が記録されている。

要するに壮大な監視カメラ。僕らは永劫に、この宇宙に残り続ける。



No.043 (2006.10.4)

今、家に水頭症の仔犬がいる。犬種はミニチュア・ダックス。生まれて一ヵ月くらいで発症した。CTの結果、頭の中はほとんど水で脳は数ミリしかないと獣医からは言われた。生きていることが不思議だって。それが二ヵ月前。今はもうあまり動けない。目も見えていないと思う。餌や水も自力では摂取できない。でも生きている。生きているどころか寂しいと鳴くし、抱くと甘える。僕にとって、とても大切な存在だ。

「放送レポート」次号の対談のお相手は、テレビ・ドキュメンタリーの大先輩の森口豁さん。ムチャクチャ面白かった。刺激になった。唖然とした。ドキュメンタリーに興味ある人もない人も、是非読んでください。



No.042 (2006.9.12)

 今NY。日本は9・12の午後5時半で、こっちは12の午前4時30分。夜明け前のホテルの一室。更新、帰国前に間に合うかな。

  昨日は9・11の式典はそれほどじゃなかったけれど(だいたいが関係者以外はフェンスの外で中がよく見えない)、そのあとにピースフル・トモウロウ(戦争やテロの被害者 や遺族たちのグループ。報復はやめるようにと呼びかけている)の式典とパーティに呼ばれた。

  あらゆる宗教が混雑する慰霊の式典はとても厳粛で感激的。そのあとのパーティ。南アフリカのアパルトヘイトに反対して政府に拷問されて両手と片足を失った牧師さんに、 「日本はあんなにすばらしい憲法があるのになぜ軍隊を持とうとするのか」みたいなことを言われた。パーティ場の片隅では息子と夫を失ったイスラエルとパレスチナの女性二人 が泣きながら抱き合っている。イラクやアフガンの遺族たちが談笑している。ロシアの北オセチア(だったかな)の学校テロで子供を失った母親もいる。アフガンの母親もいる。

もちろん9・11の遺族もいる。デビッドは兄を失ったけれど、「兄の名前を対テロ戦争の理由に使わないでくれ」と主張し続けている。ルワンダの遺族もいる。広島の被爆者の 会の代表の方のスピーチは皆の胸を打った。

  時おり僕は間違える。思い込む。反省しない。妥協する。その場の雰囲気に飲まれる。でも絶対に、大筋においては間違えていない。そんな思いを強く持てた夜でした。

  その後のディナーは、グランドセントラル駅の名物店「オイスター・バー」に行く。生牡蠣にロブスター、白ワインとシャブリ。たまには贅沢もいいか。生のハマグリがムチャ クチャ美味しかった。でもこれ、大丈夫なのかな。 一夜明けた今のところは、体調に変化なし。日本でも試してみよう。

今4時40分。今日も忙しい。



2006.8.31

 気がついたら夏が終わる。ひたすら仕事に追いまくられた夏だった。海にも行かなかった。カブトムシを採りにも行かなかった。禁煙もできなかった。コラムの更新もできなかった。悔いばかりが残る夏だ。

9月8日から渡米する。同行は吉岡忍、吉田司、元木昌彦、野中章弘ら、総勢14名の錚々たる団塊世代。諸先輩たちは意気軒昂。僕もまだ、悔いてばかりの齢じゃないはずだ。11日には、テロや戦争の遺族たちとニューヨークでディスカッションの予定。帰国は14か15日。



2006.7.31

 友人の浄土真宗本願寺派の僧侶、池信秀見さんからのメールの抜粋を、以下に(本人の承諾なく、 しかも勝手に文章の一部を加工して)貼りつける。

一昨日は、芳村くん(この人も本願寺派の僧侶・引用者註)とサンボマスターのライブへ。
ボーカルの山口さんが、北朝鮮のミサイル実験のことをMCで話していました。
「ダンコたる処置なんて言うなよぉ。俺は、戦争賛成か反対かはよくわからねぇけど、
みんなが死ぬのだけは絶対反対だぁ。」
・・・すごく、すごくうれしくて。


浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来の名称は、サンスクリット語の「ア・ミダ」からきている。「ミダ」とはこの場合、「測る」とか「わかる」などの意味。そして「ア」は反意を示す接頭語。つまり阿弥陀如来を思い切り自分なりに解釈すれば、「何だかよくわからない神さま」ということになる(仏教用語では「無量」という言葉を使い、「よくわからない」というよりも「計りしれないほど多い」という意味のほうが正確なのかもしれないけれど)。

とにかく、何だかよくわからない状態への危機感がどんどん強くなり、何もかもがわからなければいけないような風潮が広がり、黒や白、右や左、善か悪の二項対立ばかりにみんなが興味を示し、その狭間が消えつつある現在、阿弥陀如来なるネーミングは、この世相に抗するように屹立している。とてもシンボリックだ。



2006.7.4

講談社のPR誌「本」に連載していた「ぼくの歌・みんなの歌」は次回8月号の「傘がない」で最終回。全32回のはずだから二年と6ヵ月。我ながらよく続いた。集英社のPR誌「青春と読書」の連載「新・お伽草子」もそろそろ終盤(今は隔月連載)。クイック・ジャパンの連載「日本国憲法」や新潮社のPR誌「波」の連載「東京番外地」も、やっぱりこの夏が過ぎる頃に終わる。

終わりの季節。考えたらここ数年、ずっと書き続けてきた。いろいろ思うところあり。



2006.6.6

退院しました。

船旅が一転して病院生活。船と病院はもちろん全然違うけれど、 隔離という意味では近いかな。
左腕は点滴の穴だらけ。 水を飲むとアメリカの昔のアニメのように水が滲みだしてくる。



2006.5.26

23日のコラムで書いたように、本当なら今頃は大西洋上にいるはずなのだけど、実は日本にいる。

フライト前日、突然の高熱で病院に運ばれた。今は一日二本の点滴と内服薬で様子を見ている。仕方がない。久しぶりの休養のつもりで、たまっていた書籍を読んだりビデオを見ることで終日過ごしている。

PS たぶん深刻な事態ではないと思う。希望的観測だけど。


2006.5.23

25日から恒例のピースボートで、しばらく渡航します。コースはアイルランドからNY。帰国は8日の予定。メールはたぶんチェックできるけれど100%じゃありません。

講談社のPR誌「本」連載のために、ここ数日ブルース・スプリングスティーン漬け。この人、もし今の日本にいたら、きっと非国民と言われているだろうな。



2006.5.9

今月末には逮捕が噂されるヒューザーの小嶋社長と会った。いろいろ話した。最後に、「行政、捜査機構、メディア、この三つの権力における知らなかった面を、小嶋さんは今回の件で知ったと思うけれど、いちばん驚いたのはどれですか?」と聞いた。小嶋さんが何と答えたか?みのもんたのクイズ番組で設問にしてもらいたいな。

彼は即答。「メディアです」

その小嶋さんの主任弁護人である安田好広さんをめぐって、今とてもきな臭い噂がある。それが事実なら、この国はもはや司法国家ではない。だから緊急のトークショーが13日に開催される。

詳細はこちら http://miyazakimanabu.com/



2006.4.30

 もしもあなたが誰かを陥れようと思ったら、酒でも飲ませながら耳もとで、「こういう儲け話があるんだよ」とか何とか、とにかく非合法なことを提案して、その誰かが「いいね、やろう」とでも口にしたならそれでOK。隠しどりしたテープを警察に証拠として提出すればよい。あなたは捜査に協力したとして罪を問われない。

共謀罪そのものはもちろんだけど、こうして密告・統制が進むという副作用の恐ろしさが、僕はこの法律の何よりも悪しき部分であると考えます。

  是枝裕和さんの「花よりも なほ」。試写会に行ってきた。一緒にテレビの憲法シリーズを考えていた一昨年の段階で、「次の映画は仇討ちをテーマにする」と聞いていたので、内容は何となく想像がついていたけれど、ふむふむとやっぱり嬉しかった。憲法第9条の映画です。あるいは共謀罪でもあるかもしれないし、拉致問題という視点もあるし、報復の連鎖が続くこの世界に対しての是枝さんのメッセージかもしれない。

見方はいろいろ。試写の案内に是枝さんは、「今度は娯楽作品です」とボールペンで添え書きしていた。


2006.4.21

 いつごろからだろう。弁護士がこれほどに、批判や侮蔑の対象にされるようになったのは。

その背景には、「悪人の味方をするから同類だ」との、とても短絡的な発想が働いているように思えてならない。その帰結として、麻原法廷を始めとして、近代司法の最も重要な基盤であるはずのデュー・プロセス(適正手続き)の形骸化が加速する。

誰かに適正な裁判を受けさせる権利を守ることは、僕らが公平な裁判を受けるための担保でもある。自分は被告席に座るような悪人にはならないと、裁判の厳罰化・迅速化を要求する多数派のあなたは言うかもしれない。オーケー。あなたは間違いを犯さない。でも僕は怖い。自分は決して加害者にならないと言い切れるだけの自信がないからだ。だからあなたにお願いしたい。いつか何かの弾みで加害者になるかもしれない僕のような弱い男にも、この国は公平な裁きを受ける機会を与えてくれると思わせてほしい。罪の報いを受けることは当然だとしても、その手続きを省略するようなことは、決してないと信じさせてほしい。

麻原の主任弁護人だった安田好弘弁護士は今、光市母子殺害事件の加害少年以外にも、ヒューザーの小嶋社長や、カレー事件の林真須美らの弁護も引き受けている。「どうして火中の栗ばかり拾うのですか?」そう聞いたら彼はおそらく、「あのな、森、栗は火中にしかないんだよ」と答えるだろう。全身弁護人。大切な人だ。


2006.4.06

おっとせいのきらひなおっとせい。

だがやつぱりおつとせいはおつとせいで

ただ

「むかうむきになつてる

おつとせい」

金子光晴の代表作「おつとせい」から引用。僕もあなたもまた、おつとせい。でも向きくらいは自分で決めたい。


2006.3.21

  4月1日に高崎に行きます。目的は高崎映画祭。「高崎映画祭の20年」の特集における上映で、上映作品は『A』。もしかしたら、この作品を上映することは久しぶりかもしれない。

高崎は今回が三回目。一回目は1998年か1999年くらい。上映作品は『A』で客席はガラガラ。二回目は2001年くらいかな。上映作品はテレビ作品の「職業欄はエスパー」で、超能力者の秋山眞人さんと上映後にトークショーをやり、その後は市内の和風旅館で、映画祭スタッフたちと打ち上げをした。その宴会の席で、説明が難しい現象が起きて全員で軽いパニック状態になったのだけど、スタッフたちは覚えているだろうか?

いずれにせよ、久しぶりの映画祭に招待されて、この擬似映画監督もちょっとだけ嬉しい。

 第20回高崎映画祭  http://www.wind.ne.jp/tff/



2006.3.8

  僕ごときに何の力もない。それはよく承知している。でも同時に僕は、一審で死刑を宣告された麻原彰晃が今、意思や感情がほとんど崩壊しかけていることも知っている。だからこそ彼に訴訟能力があるとして結局は死刑確定を急ぐだけの裁判所と、矛盾を感じながらも言葉を発することができないメディアと、何の関心も持たないこの国の民意に対して、とにかくできるかぎりは抗う。絶対に抗う。なぜなら今のこの状況にこそ、オウム事件の本質と、その後に急速に変質した日本社会の断面が、典型的に現れているからだ。


2006.2.18

  気がついたらコラム更新、一ヵ月以上サボっていた。これからはできるだけ毎週更新します。一昨日は、長野の浅間温泉に一泊。信越放送のラジオ番組のゲストに呼ばれていたのだけど、前日までこのことを忘れていたので、情報のUPもしないまま。事後になるけれど、以下にURLを記載します。

 「ちょっといい話」(信越放送) http://sbc21.co.jp/radio/iiyoru/2005/

夜は小室等さんと、老舗の菊之湯旅館に泊まる。酔っ払って露天風呂に入ろうとして、足を滑らせて見事に仰向けに転倒した。死ぬかと思った。痛みに起き上がれず、タオルくらい腰に巻いておけばよかったと後悔した。死ななかったけれど。


2006.1.18

 TOKYO FM「森の朝ごはん」でお会いした環境工学研究者の中西準子さん。とても刺激的な話を聞いた。BSEや環境ホルモン、鳥インフルエンザやダイオキシン、いずれもかつて(今も)その危険性で大騒ぎになったアイテムだけど、綿密なデータでそのリスクを計測する彼女に言わせれば、いずれも大きな害はないという。

正確に言えば、もちろん害はある。でもそのリスクは、そのアイテムが持つハザードよりははるかに小さい。例えば毒ヘビはハザードが強い。でも生息地は限られているし個体数は多くないからリスクは小さい。そういえば森巣博さんも、「オーストラリアには世界有数の毒ヘビは多いけれど、誰も大騒ぎしていない」と言っていた。だって山の中だもの。

そのリスクとハザードが、今の日本社会では特に、渾然としてしまっている。わかりやすいリスクに高揚して大騒ぎしながら、もっと本質的なハザードに気づかない。正月に山谷に行った。路上に溢れる酔っ払った男たち。その横を自転車で走り去る女子中学生。公園のビニールハウスの横には幼い子供たち。

ふと気がついた。異物だらけのこの町には、監視カメラなど一台も設置されていない。


2006.1.8

  テレビ朝日の日下雄一さんの訃報が届いたのは昨夜。死因はがん性胸膜炎。「朝まで生テレビ」の生みの親でチーフプロデューサーでもある日下さんに初めて会ったのは、もう15年近く前になると思う。闘病していることは知っていたけれど、放送レポートの対談相手をお願いしたら快諾してくれて、昨年11月に久しぶりに全日空ホテルでお会いした。

開口一番、「体調も良くないし、そもそもこういう企画は断っているのだけど、森君だから来たんだよ」と言われ、とにかく恐縮した。普段はあまり自分を語らない人なのに、この日の対談はなぜか幼年時代から始まる思い出話が続いて、「日下さん、いつもと違うなあ」と思ったことを覚えている。結局はこの対談後、日下さんはすぐに入院したらしい。

この対談は、今発売中の「放送レポート」1月号に掲載されている。僕が「放送禁止歌」や「A」を撮るずっと前に、部落差別やオウムや天皇制や原発をテーマに、テレビの自主規制的領域を侵犯した人だ。でもコワモテじゃない。とてもナイーブな人だった。

・・・短くはまとまらない。でも書きたかった。享年59歳。早すぎる。悔しい。


2006.1.6

  戦後最大の寒波が続いている。確かに寒い。これまでの生涯でいちばん寒かった記憶は、テレビ・ディレクターをやっている頃に、氷漬けマンモスを掘りに行ったシベリアだ。レナ川の上流、見渡すかぎりツンドラのど真中に簡易テントを設営して、テント生地の上に毛布を重ね、シェラフを二重にしたけれど、永久凍土から浸み込む冷気には勝てなかった。しかもこのときは、マンモスの頭部を発見して撮影が無事終了した後に(詳しい経緯は省くけれど)遭難した。最後には食料もなくなり、近く(といっても100キロくらい離れている)の秘密軍事基地から装甲車で来たロシア兵に救助された。ところがその装甲車が、走っていることが不思議なくらいのオンボロで、基地に運ばれる途中にキャタピラが切れた。でもいちばんの艱難辛苦は、ドキュメンタリーを撮るというプランで出かけたのに、やっとの思いで帰国したら、ロケ中に始まったばかりのその番組が、あっさりとクイズ番組になっていたことだった。


■お問合せ・ご連絡 HP管理 宮澤まで
moriweb@abox2.so-net.ne.jp

this is /tatsuya mori home page/top updated 12/23/2007  このサイトの内容の無断転載を禁じる 
--------------------------------------------------all rights preserved by mori HP 

 

inserted by FC2 system