2007年

No.066 (2007.12.22)

 今回は担当編集者からの寄稿です。(森)


 3年前からスタートして、たくさんの人に取材をして、何度も何度も原稿を書き直して完成した本です。

人を殺した人。大切な人が殺された人。処刑を執行する人、指示する人、管理する人。

死刑囚のために神に祈る人。処刑台から生還した人。存置を主張する人、廃止を主張する人。

いろんな人たちの、いろんな感情がつまっています。

罪と罰、そして命とは何か。人が人を殺すということを、応報感情をどう捉えるか。

森さんの主張や気持ちの揺れ動きに触れて、
そうかとうなずいたり、わからないと首をかしげたり、
共感して共に悩んだり、それは違うんじゃないかと反発したりしながら
読み進んでいただけるとうれしいです。

そして本書を読み終えてからも、殺人事件のニュースや、死刑判決のニュースを耳にした際など
ときどきでいいので、「あなた自身はどう思うのか」を考えつづけていただけると、もっとうれしいです。 

最後に、本書にはたくさんの方々のお力ぞえをいただきました。
関わってくださったすべての方々に、心より御礼申し上げます。

朝日出版社担当編集者 鈴木久仁子

P.S. 「なぜだろう…本でこんなに大変だったのは初めてだ…」と憔悴した顔でポツリと口にした森さんを思い出します。こんがらがりながら苦戦・格闘している森さんも必見です。


No.065 (2007.12.2)

 小人プロレスのノンフィクション「異端の笑国」を書いた高部雨市さんの新刊「風俗夢譚」(現代書館)。巻末の著者プロフィールには、「現在は、終焉を迎えた『小人プロレスの世界』を完結させるために取材中」と記されている。そういえば高部さんの前作「私風俗〜上野界隈徘徊日記」から五年が過ぎる。この人は相変わらずのマイペース。送られてきたのは二週間ほど前だけどまだ読んでいない。僕も今年一年をほぼ費やした死刑本がもうすぐ終わる。それから読もう。
死刑本のタイトルは『死刑』。いろいろ考えたけれど他にない。あなたの本のタイトルって極端に長いか短いかのどちらかですねって言われた。確かにそうだ。


No.064 (2007.11.17)

友人の近況を二つ。ひとつは島根の友人、宮森健次さんが書いた童話「ある小さな小さな島の物語」。山陰中央新聞のWEBに記事が掲載されていたのでURLを貼ります。寓話です。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=445127006

もうひとつは、やはり友人の浜吉竜一さんが最近立ち上げた、ファッション・ブランド「neko」。彼からのメールの一部をいかに引用。

以前バラエティ番組のADをやっていましたが、そこでも番組が面白くなるのであれば「無意味に」人が傷ついてもかまわないというような発言や行動を見ました。泣けるドラマに泣けるのに、多くの国で多くの人が餓死している状況には泣くことができない。そんなことはおかしい。まさに「思考停止」なのだと思います。

こうして浜吉さんはファッションに自分の思いを込める。「neko」のTシャツは、新宿の模索舎http://www.mosakusha.com/で取り扱っています。


No.063 (2007.11.06)

だから二大政党制なんてまやかしだって言っていたのに。要するに本質としてはオール与党。
それにしても「自民党的なもの」とは怪物的存在だとつくづく思う。

特に政治には強い興味はないけれど、今のこの状態が相当に危機的であることは僕にもわかる。



No.062 (2007.10.24)

 講談社から出る「ぼくの歌・みんなの歌」。以下、担当編集者からの伝言です。
「もし購入したら是非カバーを外して見てください」。
それとタイトルのかすれは、印刷ミスではなくてスタンプをイメージしたのですが・・・。



No.061 (2007.10.09)

  昼のニュースで高村外相が北朝鮮の拉致問題と経済制裁継続について喋っていた。
そこで彼が何度も主語として口にしていたのは「私たち」という言葉。考えたのも決めたのも全部「私たち」のようだ。

僕がもし秘書官なら、「大臣、外相を任命されたのですから、使う主語は『私』にしましょう」とアドバイスするのにな。



No.060 (20079.22)

佐藤真を偲ぶ会
9月26日18時から日本青年館で行われます。
詳細はこちらで。
http://www.cine.co.jp/news.html#070918


No.059 (20079.7)

 世代的にはほぼ一緒。作風はだいぶ違う。だから関係はけっこう微妙だった。互いに何となく緊張感があった。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」に書いたエピソードだけど、4年ほど前、イギリスのシェフィールドという小さな町で開催されたドキュメンタリー映画祭で一緒になった。この時期にロンドンに滞在していた佐藤真は、僕が観客とディスカッションするときには通訳をしてくれた。終わってから会場近くのパブに行った。イギリスは物価が高すぎるとぼやいたら、佐藤はニコニコと笑いながらバッグからラップに包んだサンドイッチをとりだした。奥さんの手作りだという。二人でそのサンドイッチをぱくつきながら黒ビールを飲んだ。これだけ人を傷つけているのだから、きっとオレたち死んだら地獄に行くねなど相変わらず軽佻浮薄な言葉を吐く僕に、佐藤真は無言でうなずいていた。
これ以上は書けない。書きたくない。だから以下(訃報後に更新された阿部嘉昭さんのブログ)を引用する。まったくそのとおりだと思う。

佐藤さんと森達也を比較すると、
佐藤さんのほうが真摯だという評言は当たらないだろう。
どちらも真摯、というのが正しい。
ただ佐藤さんが森さんにたいし絶対量の多さを誇るべきものがある。
「孤独」の分量がそれだ。

取り残された。冥福を祈るべきなのか。そんな気分になれない。今はただ悔しい。


No.058 (20079.1)

財布を落とした。でも拾ってくれた人がいた。それはありがたいのだけど、警察に保管されたその財布を返してもらうためには、財布を届けてくれた人に警察が預けた書類を、僕は警察に戻さねばならない。ややこしいな。つまり拾ってくれた人へまずは会ってお礼をしてから警察に取りに来なさいというシステムなのだ。書類はその際の証拠となるわけだ。

意味はわかる。たぶんお礼をしないままに済ませてしまう人が多いのだろう。でもなあ。小学生や中学生じゃあるまいし。少なくとも成熟した社会のシステムとは思えない。その程度の社会なのだと言われればそれまでだけど。

発足した安部新内閣に対して、翌日のテレビはニュースもワイドショーも競争のようにキャッチフレーズづくり。ずばり一言にすればとか何とか、コメンテーターたちも乞われるままにフリップに「○○○内閣」とか書いているけれど、一昔前にはこんな風潮はなかったと思う。わかりやすさへの希求が進み、単純化や簡略化が当たり前になっている。

もうちょっと成熟したい。もちろん僕自身も含めて。



No.057 (2007.8.12)

テレビ出演の反響はスーツとネクタイばかり。というか、それしかない。まあ当たり前か。LITTLE BIRDSの綿井健陽からは以下のメール。

恐らく選挙特番での「スーツ姿」に関する驚き反応メールが多数届いているのではないかと思います。なぜかテレビというメディアは、話の中身よりも、見た目、表情、目つき、服などについつい興味がいってしまいますね。

まったくその通り。だからこそ情緒が感染しやすくなっている。この夏、去年に引き続き民放連の番組審査を仰せつかったのだけど、僕が見た7本のテレビドキュメンタリーのうち3本が、刑事事件の被害者遺族をテーマにしていた(作品の良し悪しとはまた別だけど)。司馬遼太郎が「一斉傾斜」と形容した日本民族のこの一極集中の属性は、テレビという媒体ととても親和する。
それにつけても、拉致議連の議員たちも含めて拉致問題を声高に叫ぶ人の数は、何で急にこんなに少なくなったのだろう。僕はずっと「拉致問題解決のためには国交正常化」と言い続けてきたけれど、あまりに変化が急激で露骨すぎるから、こうなったら「朝鮮半島の非核化や国交正常化よりも拉致問題解決を優先しろ」と言いたくなってしまう。「機を見るに敏」にも程がある。

この8月から9月にかけて、本が集中して出ます。少しは分散すればいいのに。買うほうも大変だよね。


No.056 (2007.7.22)

 今月下旬、「ベトナムから来たもう一人のラスト・エンペラー」が文庫化される。僕にとってはとても思い入れのある作品だ。比べるべきじゃないかもしれないけれど、少なくとも「放送禁止歌」よりははるかに。でも作者の思いと売行きとはなかなか比例しない。そんなことを実感させる作品だった。文庫化にあたってのタイトルは「クォン・デ」。意味不明だからタイトルとしては得策ではない。でもどうしてもこのタイトルにしたかった。

帰国したら予想どおり畑は雑草の海。また今年も挫折。キュウリだけが元気。告知をもうひとつ。
29日深夜のTBS選挙特番に出演します。



No.055 (2007.6.30)

 たぶん11日ごろに帰国します。不義理している人、返信待っている人、いろいろ申し訳ないです。
今はインド洋から紅海に入るところ。明後日はアデン。



No.054 (2007.6.17)

 今さらだけどテレビの影響力ってすごい。日曜の午前7時なんて誰が見るんだろうと思っていたら、
いろんな人から「見たよ」との連絡があった。母親からは「飲みすぎだ」と叱られた。

24日から二週間ほど日本にいません。畑の雑草と原稿が気になるけれど・・・。


No.053 (2007.5.29)

気がついたら一ヵ月以上、このコラム更新していなかった。
具合でも悪いのかと問合せ多数。 どうもありがとう。少なくとも具合は悪くない。
ジャガイモは花が咲き始めたし、ピーマンの実がつきはじめた。・・・また近日中に書きます。


No.052 (2007.4.22)

 原稿書きの合間を縫って畑に種を蒔いた。石灰と鶏糞は一週間前に入れている。僕の畑はほとんど畝を作らない簡易なもの。でも田舎だから広い。午前中に二時間だけやってやっと土地の三分の一。蒔いたのはホウレンソウと豆各種とキュウリとモロヘイヤと春菊とゴーヤ。二週間前に植えたジャガイモの芽がやっと出てきた。本当は二時間でも惜しいのだけど、今蒔かないと夏の収穫が望めなくなる。過去形じゃない。今も追われている。考えたらずっと追われている。たまには追いたい。気持ちいいだろうな。連休には苗を植える予定。



No.051 (2007.4.15)

  友人からメール。少し長いけれど(了解をもらったので)以下に貼り付ける。
カート・ヴォネガットの訃報は僕もショックだった。昔彼の本ばかり読んでいた時期がある。

 桜ももう終わりですが、お花見はできましたか?あたしは青春18切符を使って鈍行列車を乗り継ぎ、水俣まで行ってきました。窓の外の桜を眺めるのに飽きたら内田百閧フ『阿房列車』とエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を少し読んで、いねむりして起きたらまた読むか桜と菜の花を眺めるかして、退屈しませんでした。

「自由からの逃走」は本当に66年前に書かれたものとは信じにくいです。まるでそのまま今の私たちにあてはまるみたいです。

海上自衛隊員募集CMを見ましたか?

戦争に向かう道もファシズムも、道化みたいな顔をして近づいてくるんだな。

軍靴の響きとかきな臭いにおいとかいうけれど、今はそんなんじゃない。ばかみたいに子供だましみたいにおちゃらけて、そして正義とか夢とか明るく無邪気に言いながら、しかも危険な香りがしないように消臭消毒してあたしたちの周りを包囲していくんだなって思いました。

石原都知事三選や国民投票法の今国会での成立も、ますます個人の、あたしの無力感を強めます。

北朝鮮産のアサリを不正輸入したという業者の逮捕のニュースも、ひどい扱いだと思いました。

あたしたちはナチを止めることのできなかったドイツ人と何が違うのだろう?

確かにガス室へ押し込んだりはしないけれど、ゆるやかに弱るように、餓死していくように北朝鮮人を痛めつけている…

あたしの買った「自由からの逃走」は111刷でした。人間は賢くなれないのかと暗い気持ちになりそうです。

水俣の人はひどく傷ついていますが穏やかに生きているみたいに見えました。

何処まで行っても満開の桜。

まさに『世界はもっと豊かだし人はもっと優しい』だった。

いや本当は「世界はやっぱり豊かで人はやっぱり優しい」でした。

“もっと” と言うところが森さんなんだなあと思いますが “もっと” ってどういう意味だろうって時々思います。

それにしても水俣よかったです!ポンカンという柑橘が驚愕のおいしさだった。水俣に移住しようかと思いましたもん。

自転車借りて回ったんですけど海は美しく哀しく、花多く、ポンカンはおいしい…だけじゃないけど。
そんな感じです。

今、カート・ヴォネガットが死んだと友だちからメールがきました。 そんな感じです。




No.050 (2007.4.11)

 死刑をテーマにした新刊の原稿執筆が進まない。毎日追われている。
ふと原稿作業の合間に思いついた。you tubeで「幽霊」とかを検索したら
どんな映像を見ることができるのだろう?

・・・お勧めしない。夜中に部屋で一人、僕はこれ以上ないほどに後悔した。



No.049 (2007.3.31)

  バルーン・モーリーという熱帯魚を飼っている。メダカの仲間であるセルフィン・モーリーの改良種。名前のとおり、風船かピンポン球のように丸い身体が特長なのだけど、そのうちの一匹の雄が、二週間ほど前から腹を上にして水面近くをぷかぷかと漂っている。弱ってしまったのかといえばそうでもない。でも逆さま。どうやら転覆病というらしい。食欲はあるのだけど、潜れないのでうまく食べることができない。やがては死んでしまう。原因もよくわからないし治療法もない。

  真夜中に時おり水槽を眺めている。何もできない。つくづく無力だ。水槽の水面近くで逆さまに漂う彼にとって、自分を取り囲むこの世界は、どんなふうに見えているのだろう。


No.048 (2007.2.18)

  糸井重里さんに誘われて吉本隆明さんの家に行った。
場所は本駒込。家のすぐ横にお寺があって、境内には小さな大仏が鎮座している。

  「小さな大仏」。

何だかこのあたりでもう吉本ワールド。時間にして4時間くらい。
糸井さんと吉本さんの対談は軽妙にして洒脱。現在の教育論から親鸞の世界観まで。
二人とも達人の域。拝聴するばかりだけど楽しかった。



No.047 (2007.1.29)

 納豆ダイエット番組のやらせ問題については、いろんな人がいろんな視点から言ったり書いたりしている。ほぼそれで言い足りている。だから繰り返すことはしない。でもひとつだけ、僕の見聞きする範囲では、まだ誰も指摘していないことがある。

それはボイスオーバーという手法についてだ。つまり映画で言えば吹き替え。この手法は、特に報道やドキュメンタリーの現場では、かつては禁じ手の雰囲気があった。なぜなら元のコメントを聞き取れなくしてしまうわけだから、過剰な演出への抑制が効かなくなる。テレビ的に「おいしい」言葉を作り出してしまうことが可能になる。いわば悪魔の囁きのようなテクニックだ。だから翻訳テロップにこだわった。つまり「李下に冠をたださず」の意識があったはずだ。

でもここのところ、このボイスオーバーの手法がとても多くなった。最近では民放は言うに及ばず、NHKのドキュメンタリーやニュースの枠ですら、時おりこの手法を見かけるようになってしまった。

禁じ手に近い扱いだったこの手法が、いつのまにか当たり前になってしまったその背景には、「わかりやすさ」を求めるこの国の民意がある。その意味では、この番組におけるボイスオーバーの捏造問題は、氷山の一角でしかない。



No.046 (2007.1.10)

「せめて週に一度くらいは更新したい」と書いてから早くも一ヵ月が過ぎる。

恥ずかしいくらいの不言実行の実践。僕はプレッシャーに弱いのだ。

・・・「弱いのだ」と威張っても仕方ないか。とにかく新年。身の周りにあまり変化はない。

プラナリアはうっかり水替えをサボってしまって、一匹を残して全滅。

物理的な外圧には強い生きものだけど、水の汚れにはとても弱い。

年末に処刑されたフセインの映像をYOU TUBEで観ながら、

ぼんやりとしていたら年が明けていた。



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