僕らはあの事件からまだ何も学べていない。
1998年度「キネマ旬報」ベスト・テン第13位
1997年 山形国際ドキュメンタリー映画祭 出品
1998年 プサン国際映画祭 正式招待
1999年 ベルリン国際映画祭 正式招待
1999年 香港国際映画祭 正式招待
1998年 バンクーバー国際映画祭 正式招待
2001年 ベイルート国際映画祭 正式招待
オウム真理教広報部副部長A28才
静寂の青春を生きるはずだった。
あの“地下鉄サリン事件”から半年が過ぎ、マスコミの熱狂的なオウ真理教(現アーレフ)報道が続いていた1995年9月。 テレビディレクターである森達也は、教団の広報担当者 荒木浩を被写体としたオウム真理教についてのドキュメンタリー番組の企画を立ち上げた。 翌年3月に撮影は始まるが、2日間のロケを済ませた段階で、オウムを絶対的な悪として描くことを強要する番組制作会社のプロデューサーと衝突、 これ以降、契約を解除された森は自主制作として、このドキュメンタリーを進行させることになった。
数カ月後、単独で撮影していた森は、数々の自主制作映画をプロデュースしてきた安岡卓治に出会う。ラッシュを見た安岡は、本作への参加を決め、 撮影・編集の補助及び製作を担当する。1997年4月までの約1年間、森と安岡はオウム施設内部に視点を置きながら、社会とオウム、双方を撮り続けた。 その後136時間に及んだ素材テープを編集し、同年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品、そして企画立ち上げから2年4ヶ月後の1998年1月、 BOX東中野にて一般劇場公開が実現された。その後、大阪、名古屋、札幌他、大都市の独立系単館劇場で公開される。
本作は公開後、賛否両論、様々な方面から物議をかもした。権力やマスコミへ批判と読み解く人もいれば、青春を描いたドキュメンタリー作品として 高く評価する人もいる。つまり、善し悪しを別にしても、それだけ多くの人々が本作に関心を寄せ、社会に波紋を及ぼした作品である事は明白だ。 事実、本作の注目度は日本国内だけに止まらない。ベルリン、釜山、香港、バンクーバー等、各国の映画祭に出品され、いずれも大きな話題と反響を呼んだ。
森達也は本作において、“なぜ事件が起きたのか?”という過去形の疑問ではなく、“なぜ事件が起きたのに今も信者であり続けることができるのか?” という現在進行形の疑問への解答を求め、ファインダーに収め続ける。そして、この疑問が目指すベクトルは、オウムの“中”ではなく、オウムの“外”、 即ち、この時期彼らを包囲し、今も包囲し続ける“日本人総体のメンタリティ”にその解答があることに気付く。こうしてオウム信者たちの現実を通じて、 彼らを包み込む日本人のメンタリティを炙りだす事が、本作の主眼となったのだ。様々な論議を呼んだ、歴史に残るであろう本作品。 日本人として、人間として、観ずには済まされない現実を今、あなたは目撃する。
A(エー)
発売日:2003.07.25
収録時間:135分+特典映像(劇場版予告編)
体裁:カラー/音声1.オリジナル音声〈日本語〉/英語字幕/片面2層
特典:劇場版予告編、12P冊子(解説文:村上春樹、森達也)
監督・撮影・編集:森 達也
製作・撮影・編集:安岡卓治
編集助手:吉田 啓
音楽:朴 保(パク・ホー)
1998年・日本
©「A」製作委員会
世界はもっと豊かだし人はもっと優しい。
2002年度「映画芸術」ベスト・テン第8位
2002年度「キネマ旬報」ベスト・テン第23位
2001年 山形国際ドキュメンタリー映画祭 市民賞+特別賞W受賞
2001年 ダマスカス国際映画祭 正式招待
2002年 シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待
2002年 台湾国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待
2002年 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 正式招待
事件から4年半。信者たちの内側にある矛盾、
社会の側に生まれ始めた“受容への萌芽”を炙り出す。
1998年1月。オウム真理教(現アーレフ)の広報担当者 荒木浩を主体とした、出家信者たちのドキュメンタリー作品『A』が発表された。 瞬く間に反響を呼んだこの作品の注目度は日本国内だけに止まらず、各国の映画祭に正式招待される。
1999年9月、“オウムについての自分の表現は終了した”と断言していた森達也監督が、再びカメラを手に退去直前の足立区のオウム施設を訪れた。 『A』がクランクアップした1997年4月以降、日本社会はまるで歯止めが外れたように急激に変質した。残虐で理解不能な犯罪が頻発し、ガイドラインや通信傍受法案、 国旗国歌法案に住民基本台帳法案などの数々の法案があっさりと成立。『A』撮影時に一旦は棄却された破防法は、団体規制法(オウム新法)として復活した。 高まるばかりのオウムへの憎悪を背景に、地域住民のオウムへの排斥運動は急速に激化する。“3年前には、ここまで日本社会が急速に劣悪化するとは思わなかった” ことが、再びカメラを手にした理由だった。事件(地下鉄サリン事件)直後、社会はもっと煩悶していたはずだ。“なぜ宗教組織がこんな事件を起こしたのか?” という根本的な命題に、必死に葛藤していた時期があったはずだ。オウムの側では今も葛藤は続いている。でも、もう一つの重要な当事者であるはずの社会の側は、煩悶を停止した。
『A2』撮影中、オウム排斥運動に関わる住民と信者との軋轢が一番激しいとされていた地を訪ねると、不思議な共有関係が築かれていた。 この状況が、本作にとって大きな核となる。マスメディアを通したイメージでしか捉えていなかった信者に、実際に接することで生じた住民たちの戸惑いや煩悶。 同時に社会と断絶したはずの信者たちも、住民の上官や不安に触れることで、再び社会と向き合い、事件についての葛藤を迫られる。オウムを通じて日本社会の歪んだ 断層を暴いた『A』。そして、本作は前作を遥かに上回る深度で切り込みながら、信者たちの内側にある矛盾、さらには社会の側に生まれ始めた“受容への萌芽”を描き出す。
A2 (エー・ツー)
発売日:2003.07.25
収録時間:126分+特典映像(劇場版予告編)
体裁:カラー/音声1.オリジナル音声〈日本語〉/英語字幕/片面2層/
特典:劇場版予告編2種(DVD版のみ)、12P冊子(解説文:吉岡忍、森達也)
監督・撮影・編集:森 達也
製作・撮影・編集:安岡卓治
編集助手:小堀陽太
2000年・日本
©「A」製作委員会
ミゼットプロレス伝説~小さな巨人たち~(1992年放送)
かつて日本のプロレス黎明期には、興業の花形として一世を風靡した存在でありながら、現在はメディアから黙殺され続けている小人プロレス。
現役は2人しか残っていなかったが、かつて逃げ出した選手がまた復帰を願い出た。OBたちも続々集まってきて、実に30年ぶりにテレビマッチが実現する。
森達也は実現不可能と言われていたこの企画を通した後にプロデューサーに回り、ディレクターには後に『こどもの時間』で映画デビューする野中真理子を起用した。
ステージ・ドア (1995年放送)
新劇の老舗「円」演劇研究所に学ぶ俳優の卵たちの群像ドキュメント。
年度ごとに選考を重ね、最終的に劇団に残れる者はほんの一握り。そんな苛烈な生存競争の中に身を置きながら、演劇への情熱や恋、挫折や希望に若者たちは身を焦がす。
かつて20代は彼らと同じように新劇の養成所に席を置いていた森達也にとって、原点回帰といえる作品。
制作:フジテレビ+ジャパンウェイブ
企画+演出:森達也
教壇が消えた日(1997年放送)
教室から教壇が消えつつある。教壇が象徴するものは何なのか?いったい誰が消したのか?という問題提議をサスペンスタッチで描く異色作。
結末は例によって森達也節全開だが、ナレーションに近藤サトを起用するなど、普通を装っている分、森達也としては斬新な作品に位置づけられる。
制作:フジテレビ+グッドカンパニー
企画+演出:森達也
「職業欄はエスパー」(1998年放送)
ドキュメンタリー映画「A」の編集作業と並行する形で、撮影・編集が進められた作品。
秋山眞人、堤祐司、清田益章という、「エスパーであること」を職業に選定した3人の超能力者の日常を撮りながら、
(撮影者である森達也自身も含めて)彼らを包みこむメンタリティが、「信じること」と「信じないこと」をキーワードに少しずつ露わにされてゆく。
企画自体は、1993年に一度正式に決まりかけたが、清田益章がカメラの前でスプーン曲げを披露することを拒絶してロケ途中で頓挫した作品。
その間の経緯や彼らと撮影者である森達也との愛憎も含めてのルポ『スプーン』は、2001年4月に出版された。
制作:フジテレビ・グッドカンパニー
プロデュース:生野幸一
演出:森達也
1999年のよだかの星(1999年放送)
宮沢賢治の童話「よだかの星」にインスパイアされた森達也が、絵本と実写とのコラポレーションという手法で動物実験というジャンルに挑んだ作品。
あらゆる化学物質の商品化の際に義務づけられる動物実験は、特に製薬や化粧品など、大手クライアントの公にされない業務に触れざるを得ないため、
テレビ業界ではやはり「タブー」に近いジャンルとなっている。
しかし動物実験の是非を正面から問うのではなく、愛護団体や実験研究者たちの内面の葛藤を描くことで、「生の営み」の絶対的な矛盾が呈示される。
制作:フジテレビ・グッドカンパニー
プロデュース:渡部宏明
演出:森達也
「放送禁止歌」~歌っているのは誰?規制しているのは誰?~(1999年放送)
ドキュメンタリー映画「A」発表後最初の作品。企画自体は6年越しの企画。当初は歴代の放送禁止歌を番組内で紹介し、過去のタブーの変遷を検証するという趣旨だった。
しかしそのレベルでも、各局ドキュメンタリー番組担当からは「放送禁止歌を放送できるわけがない」と一蹴され続ける。
フジテレビNONFIXで放送が決まり、撮影が進むにつれて、放送禁止歌の実体が実はどこにもないことに気づき、
企画の趣旨は「過去の規制の検証」ではなく「現在の規制の主体を炙りだす」ことに徐々に変質してゆく。
放送後、解放出版社から部落差別問題についての取材を加える形で、同名の「放送禁止歌」として出版される。
制作:フジテレビ・グッドカンパニー
プロデュース:渡部宏明
演出:森達也