No.66 ( 2007.12.22 )


  今回は担当編集者からの寄稿です。(森)

3年前からスタートして、たくさんの人に取材をして、何度も何度も原稿を書き直して完成した本です。
人を殺した人。大切な人が殺された人。処刑を執行する人、指示する人、管理する人。
死刑囚のために神に祈る人。処刑台から生還した人。存置を主張する人、廃止を主張する人。
いろんな人たちの、いろんな感情がつまっています。
罪と罰、そして命とは何か。人が人を殺すということを、応報感情をどう捉えるか。
森さんの主張や気持ちの揺れ動きに触れて、
そうかとうなずいたり、わからないと首をかしげたり、
共感して共に悩んだり、それは違うんじゃないかと反発したりしながら
読み進んでいただけるとうれしいです。
そして本書を読み終えてからも、殺人事件のニュースや、死刑判決のニュースを耳にした際など ときどきでいいので、「あなた自身はどう思うのか」を考えつづけていただけると、もっとうれしいです。
最後に、本書にはたくさんの方々のお力ぞえをいただきました。
関わってくださったすべての方々に、心より御礼申し上げます。

朝日出版社担当編集者 鈴木久仁子

P.S. 「なぜだろう…本でこんなに大変だったのは初めてだ…」と憔悴した顔でポツリと口にした 森さんを思い出します。こんがらがりながら苦戦・格闘している森さんも必見です。

No.65 ( 2007.12.2 )


  小人プロレスのノンフィクション「異端の笑国」を書いた高部雨市さんの新刊 「風俗夢譚」(現代書館)。巻末の著者プロフィールには、「現在は、終焉を迎えた『小人プロレスの 世界』を完結させるために取材中」と記されている。そういえば高部さんの前作 「私風俗~上野界隈徘徊日記」から五年が過ぎる。この人は相変わらずのマイペース。 送られてきたのは二週間ほど前だけどまだ読んでいない。僕も今年一年をほぼ費やした 死刑本がもうすぐ終わる。それから読もう。
死刑本のタイトルは『死刑』。いろいろ考えたけれど他にない。 あなたの本のタイトルって極端に長いか短いかのどちらかですねって言われた。確かにそうだ。

No.64 ( 2007.11.17 )


  友人の近況を二つ。ひとつは島根の友人、宮森健次さんが書いた童話 「ある小さな小さな島の物語」。山陰中央新聞のWEBに記事が掲載されていたのでURLを貼ります。寓話です。
【※リンク先消滅のためURL削除】

もうひとつは、やはり友人の浜吉竜一さんが最近立ち上げた、ファッション・ブランド「neko」。 彼からのメールの一部をいかに引用。

以前バラエティ番組のADをやっていましたが、そこでも番組が面白くなるのであれば「無意味に」 人が傷ついてもかまわないというような発言や行動を見ました。泣けるドラマに泣けるのに、 多くの国で多くの人が餓死している状況には泣くことができない。そんなことはおかしい。 まさに「思考停止」なのだと思います。

こうして浜吉さんはファッションに自分の思いを込める。「neko」のTシャツは、 新宿の模索舎で取り扱っています。

No.63 ( 2007.11.06 )


  だから二大政党制なんてまやかしだって言っていたのに。要するに本質としてはオール与党。
それにしても「自民党的なもの」とは怪物的存在だとつくづく思う。

特に政治には強い興味はないけれど、今のこの状態が相当に危機的であることは僕にもわかる。

No.62 ( 2007.10.24 )


  講談社から出る「ぼくの歌・みんなの歌」。以下、担当編集者からの伝言です。

「もし購入したら是非カバーを外して見てください」。
それとタイトルのかすれは、印刷ミスではなくてスタンプをイメージしたのですが・・・。

No.61 ( 2007.10.09 )


  昼のニュースで高村外相が北朝鮮の拉致問題と経済制裁継続について喋っていた。
そこで彼が何度も主語として口にしていたのは「私たち」という言葉。考えたのも決めたのも全部「私たち」のようだ。

僕がもし秘書官なら、「大臣、外相を任命されたのですから、使う主語は『私』にしましょう」とアドバイスするのにな。

No.60 ( 2007.9.22 )


  佐藤真を偲ぶ会
9月26日18時から日本青年館で行われます。
詳細はこちらで。

No.59 ( 2007.9.7 )


  世代的にはほぼ一緒。作風はだいぶ違う。だから関係はけっこう微妙だった。 互いに何となく緊張感があった。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」に書いたエピソードだけど、4年ほど前、 イギリスのシェフィールドという小さな町で開催されたドキュメンタリー映画祭で一緒になった。 この時期にロンドンに滞在していた佐藤真は、僕が観客とディスカッションするときには通訳をしてくれた。 終わってから会場近くのパブに行った。イギリスは物価が高すぎるとぼやいたら、 佐藤はニコニコと笑いながらバッグからラップに包んだサンドイッチをとりだした。 奥さんの手作りだという。二人でそのサンドイッチをぱくつきながら黒ビールを飲んだ。 これだけ人を傷つけているのだから、きっとオレたち死んだら地獄に行くねなど相変わらず 軽佻浮薄な言葉を吐く僕に、佐藤真は無言でうなずいていた。
これ以上は書けない。書きたくない。だから以下(訃報後に更新された阿部嘉昭さんの ブログ)を引用する。まったくそのとおりだと思う。

佐藤さんと森達也を比較すると、
佐藤さんのほうが真摯だという評言は当たらないだろう。
どちらも真摯、というのが正しい。
ただ佐藤さんが森さんにたいし絶対量の多さを誇るべきものがある。
「孤独」の分量がそれだ。

取り残された。冥福を祈るべきなのか。そんな気分になれない。今はただ悔しい。

No.58 ( 2007.9.1 )


  財布を落とした。でも拾ってくれた人がいた。それはありがたいのだけど、 警察に保管されたその財布を返してもらうためには、財布を届けてくれた人に警察が預けた書類を、 僕は警察に戻さねばならない。ややこしいな。つまり拾ってくれた人へまずは会ってお礼をしてから 警察に取りに来なさいというシステムなのだ。書類はその際の証拠となるわけだ。

意味はわかる。たぶんお礼をしないままに済ませてしまう人が多いのだろう。でもなあ。 小学生や中学生じゃあるまいし。少なくとも成熟した社会のシステムとは思えない。 その程度の社会なのだと言われればそれまでだけど。

発足した安部新内閣に対して、翌日のテレビはニュースもワイドショーも競争のように キャッチフレーズづくり。ずばり一言にすればとか何とか、コメンテーターたちも 乞われるままにフリップに「○○○内閣」とか書いているけれど、一昔前にはこんな 風潮はなかったと思う。わかりやすさへの希求が進み、単純化や簡略化が当たり前になっている。

もうちょっと成熟したい。もちろん僕自身も含めて。

No.57 ( 2007.8.12 )


  テレビ出演の反響はスーツとネクタイばかり。というか、それしかない。 まあ当たり前か。LITTLE BIRDSの綿井健陽からは以下のメール。

恐らく選挙特番での「スーツ姿」に関する驚き反応メールが多数届いているのではないかと思います。 なぜかテレビというメディアは、話の中身よりも、見た目、表情、目つき、服などについつい興味がいってしまいますね。

まったくその通り。だからこそ情緒が感染しやすくなっている。 この夏、去年に引き続き民放連の番組審査を仰せつかったのだけど、 僕が見た7本のテレビドキュメンタリーのうち3本が、刑事事件の被害者遺族をテーマにしていた (作品の良し悪しとはまた別だけど)。司馬遼太郎が「一斉傾斜」と形容した日本民族の この一極集中の属性は、テレビという媒体ととても親和する。
それにつけても、拉致議連の議員たちも含めて拉致問題を声高に叫ぶ人の数は、 何で急にこんなに少なくなったのだろう。僕はずっと「拉致問題解決のためには国交正常化」と 言い続けてきたけれど、あまりに変化が急激で露骨すぎるから、こうなったら 「朝鮮半島の非核化や国交正常化よりも拉致問題解決を優先しろ」と言いたくなってしまう。 「機を見るに敏」にも程がある。

この8月から9月にかけて、本が集中して出ます。少しは分散すればいいのに。買うほうも大変だよね。

No.56 ( 2007.7.22 )


  今月下旬、「ベトナムから来たもう一人のラスト・エンペラー」が 文庫化される。僕にとってはとても思い入れのある作品だ。比べるべきじゃないかも しれないけれど、少なくとも「放送禁止歌」よりははるかに。でも作者の思いと 売行きとはなかなか比例しない。そんなことを実感させる作品だった。 文庫化にあたってのタイトルは「クォン・デ」。 意味不明だからタイトルとしては得策ではない。でもどうしてもこのタイトルにしたかった。

帰国したら予想どおり畑は雑草の海。また今年も挫折。キュウリだけが元気。告知をもうひとつ。
29日深夜のTBS選挙特番に出演します。

No.55 ( 2007.6.30 )


  たぶん11日ごろに帰国します。 不義理している人、返信待っている人、いろいろ申し訳ないです。
今はインド洋から紅海に入るところ。明後日はアデン。

No.54 ( 2007.6.17 )


  今さらだけどテレビの影響力ってすごい。 日曜の午前7時なんて誰が見るんだろうと思っていたら、いろんな人から「見たよ」との 連絡があった。母親からは「飲みすぎだ」と叱られた。

24日から二週間ほど日本にいません。畑の雑草と原稿が気になるけれど・・・。

No.53 ( 2007.5.29 )


  気がついたら一ヵ月以上、このコラム更新していなかった。
具合でも悪いのかと問合せ多数。 どうもありがとう。少なくとも具合は悪くない。
ジャガイモは花が咲き始めたし、ピーマンの実がつきはじめた。・・・また近日中に書きます。

No.52 ( 2007.4.22 )


  原稿書きの合間を縫って畑に種を蒔いた。石灰と鶏糞は一週間前に入れている。 僕の畑はほとんど畝を作らない簡易なもの。でも田舎だから広い。午前中に二時間だけやって やっと土地の三分の一。蒔いたのはホウレンソウと豆各種とキュウリとモロヘイヤと春菊とゴーヤ。 二週間前に植えたジャガイモの芽がやっと出てきた。本当は二時間でも惜しいのだけど、 今蒔かないと夏の収穫が望めなくなる。過去形じゃない。今も追われている。 考えたらずっと追われている。たまには追いたい。気持ちいいだろうな。連休には苗を植える予定。

No.51 ( 2007.4.15 )


  友人からメール。少し長いけれど(了解をもらったので)以下に貼り付ける。
カート・ヴォネガットの訃報は僕もショックだった。昔彼の本ばかり読んでいた時期がある。

桜ももう終わりですが、お花見はできましたか?あたしは青春18切符を使って鈍行列車を乗り継ぎ、 水俣まで行ってきました。窓の外の桜を眺めるのに飽きたら内田百閒の『阿房列車』と エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を少し読んで、いねむりして起きたらまた読むか 桜と菜の花を眺めるかして、退屈しませんでした。

「自由からの逃走」は本当に66年前に書かれたものとは信じにくいです。 まるでそのまま今の私たちにあてはまるみたいです。

海上自衛隊員募集CMを見ましたか?

戦争に向かう道もファシズムも、道化みたいな顔をして近づいてくるんだな。

軍靴の響きとかきな臭いにおいとかいうけれど、今はそんなんじゃない。 ばかみたいに子供だましみたいにおちゃらけて、そして正義とか夢とか明るく 無邪気に言いながら、しかも危険な香りがしないように消臭消毒して あたしたちの周りを包囲していくんだなって思いました。

石原都知事三選や国民投票法の今国会での成立も、ますます個人の、あたしの無力感を強めます。

北朝鮮産のアサリを不正輸入したという業者の逮捕のニュースも、ひどい扱いだと思いました。

あたしたちはナチを止めることのできなかったドイツ人と何が違うのだろう?

確かにガス室へ押し込んだりはしないけれど、ゆるやかに弱るように、 餓死していくように北朝鮮人を痛めつけている…

あたしの買った「自由からの逃走」は111刷でした。 人間は賢くなれないのかと暗い気持ちになりそうです。

水俣の人はひどく傷ついていますが穏やかに生きているみたいに見えました。

何処まで行っても満開の桜。

まさに『世界はもっと豊かだし人はもっと優しい』だった。

いや本当は「世界はやっぱり豊かで人はやっぱり優しい」でした。

“もっと" と言うところが森さんなんだなあと思いますが “もっと" ってどういう意味だろうって時々思います。

それにしても水俣よかったです!ポンカンという柑橘が驚愕のおいしさだった。 水俣に移住しようかと思いましたもん。

自転車借りて回ったんですけど海は美しく哀しく、花多く、 ポンカンはおいしい…だけじゃないけど。
そんな感じです。

今、カート・ヴォネガットが死んだと友だちからメールがきました。 そんな感じです。

No.50 ( 2007.4.11 )


  死刑をテーマにした新刊の原稿執筆が進まない。毎日追われている。
ふと原稿作業の合間に思いついた。you tubeで「幽霊」とかを検索したら
どんな映像を見ることができるのだろう?

・・・お勧めしない。夜中に部屋で一人、僕はこれ以上ないほどに後悔した。

No.49 ( 2007.3.31 )


  バルーン・モーリーという熱帯魚を飼っている。メダカの仲間である セルフィン・モーリーの改良種。名前のとおり、風船かピンポン球のように丸い身体が特長なのだけど、 そのうちの一匹の雄が、二週間ほど前から腹を上にして水面近くをぷかぷかと漂っている。 弱ってしまったのかといえばそうでもない。でも逆さま。どうやら転覆病というらしい。 食欲はあるのだけど、潜れないのでうまく食べることができない。やがては死んでしまう。 原因もよくわからないし治療法もない。

真夜中に時おり水槽を眺めている。何もできない。つくづく無力だ。 水槽の水面近くで逆さまに漂う彼にとって、自分を取り囲むこの世界は、 どんなふうに見えているのだろう。

No.48 ( 2007.2.18 )


  糸井重里さんに誘われて吉本隆明さんの家に行った。
場所は本駒込。家のすぐ横にお寺があって、境内には小さな大仏が鎮座している。

「小さな大仏」。

何だかこのあたりでもう吉本ワールド。時間にして4時間くらい。
糸井さんと吉本さんの対談は軽妙にして洒脱。現在の教育論から親鸞の世界観まで。
二人とも達人の域。拝聴するばかりだけど楽しかった。

No.47 ( 2007.1.29 )


  納豆ダイエット番組のやらせ問題については、いろんな人がいろんな視点から 言ったり書いたりしている。ほぼそれで言い足りている。だから繰り返すことはしない。 でもひとつだけ、僕の見聞きする範囲では、まだ誰も指摘していないことがある。

それはボイスオーバーという手法についてだ。つまり映画で言えば吹き替え。 この手法は、特に報道やドキュメンタリーの現場では、かつては禁じ手の雰囲気があった。 なぜなら元のコメントを聞き取れなくしてしまうわけだから、過剰な演出への抑制が効かなくなる。 テレビ的に「おいしい」言葉を作り出してしまうことが可能になる。いわば悪魔の囁きのような テクニックだ。だから翻訳テロップにこだわった。つまり「李下に冠をたださず」の意識があったはずだ。

でもここのところ、このボイスオーバーの手法がとても多くなった。 最近では民放は言うに及ばず、NHKのドキュメンタリーやニュースの枠ですら、 時おりこの手法を見かけるようになってしまった。

禁じ手に近い扱いだったこの手法が、いつのまにか当たり前になってしまったその背景には、 「わかりやすさ」を求めるこの国の民意がある。その意味では、この番組における ボイスオーバーの捏造問題は、氷山の一角でしかない。

No.46 ( 2007.1.10 )


  「せめて週に一度くらいは更新したい」と書いてから早くも一ヵ月が過ぎる。
恥ずかしいくらいの不言実行の実践。僕はプレッシャーに弱いのだ。
・・・「弱いのだ」と威張っても仕方ないか。とにかく新年。身の周りにあまり変化はない。
プラナリアはうっかり水替えをサボってしまって、一匹を残して全滅。
物理的な外圧には強い生きものだけど、水の汚れにはとても弱い。
年末に処刑されたフセインの映像をYOU TUBEで観ながら、
ぼんやりとしていたら年が明けていた。

No.45 ( 2006.12.12 )


  もっとコラムを頻繁に更新しなさいとよく言われる。まったくその通り。一言もない。 来年からはもう少し余裕のある生活を目指そう。コラムもせめて、週に一度くらいは更新したい。

知人から6匹のプラナリアをもらった。和名はナミウズムシ。知っている人も多いと思うけれど、 二つに切れば二つの個体になり、三つに切れば三つの個体になり、無数に切れば無数の個体になる扁形動物だ。 自ら分裂することもよくある。つまりクローン生物。

そう考えると不思議だ。人を含むほとんどの動物は、細胞の分裂に回数の制限がある。テロメアだ。 これを超えたときに老化が始まる。でもプラナリアの分裂に制限はないようだ。ならばテロメアもないのだろうか。 まさかそんなはずはない。だってそれじゃあ不老不死だ。時間ができたら調べてみよう。

玄関の靴箱の上に置いた小さな水槽。真夜中に時おり、ぼんやりとプラナリアの緩慢な動きを眺めている。 まだまだ世の中、わからないことだらけだ。

No.44 ( 2006.11.2 )


  150億年前、宇宙は無から始まった。地球の誕生は46億年前。人類の発生は、 何をもって人類と見なすかで相当違うけれど、アウストラロピテクスは300万年前で、北京原人は50万年前、 そしてクロマニヨン人は3万年前だ。

世界最古といわれるメソポタミア文明は紀元前3500年。宇宙の歴史に比べればつい最近。人の一生など瞬き以下だ。

時おり星を見ながら考える。あの星のほとんどは恒星だ。つまり太陽のように自分で光る星。 地球からの距離は光年単位。おとめ座のスピカは260光年だし、さそり座のアンタレスは500光年だ。

つまり僕らは今、260年前にスピカが発した光を、あるいは500年前にアンタレスが発した光を目にしていることになる。 これを逆から言えば、スピカでは260年前に地球が反射した光を、アンタレスでは500年前に地球が反射した光を見ることになる。

もしもこれらの星から途轍もない倍率の天体望遠鏡で地球を見たとしたら、 それぞれ260年前と500年前の地球が観測できることになる。

地球から17光年の距離にあるわし座のアルタイルから見れば、17年前の地球が見える。 もっともっと倍率を上げれば、レンズの中には、17年前の僕がいる。

理屈ではそうなる。つまり僕(だけじゃなくてあなたも含めて世界中の誰もが)は、 この宇宙に遍く存在していることになる。いや正確には、「世界中の誰もが」などのレベルじゃない。 150億光年先の星が地球から観測できるということは、宇宙はその歴史のすべての瞬間を、 この宇宙全体に、光子として湛えているということになる。

そこにはすべてがある。ビックバンも宇宙の晴れ上がりも、太陽系や地球の誕生から人類の発生、 イエス・キリストが生まれた瞬間や仏陀入滅の瞬間、クレオパトラがシーザーにキスした一夜や劉備と 諸葛了孔明が始めて会ったとき、リンカーン暗殺の瞬間やベルリンの壁崩壊など、あらゆる出来事が、 この宇宙に記録されている。もちろんそんな歴史的イベントだけではなく、あなたや僕が生まれたときの 両親の笑顔。あなたや僕が初めて恋したときの胸のときめき。そんな些細な瞬間も、この宇宙には記録されている。 仮にその瞬間が今から21年258日と12時間28分46秒前ならば、この地球から光が21年258日と12時間28分46秒で 到達する距離まで飛行して、巨大な倍率の望遠鏡とともにくるりと振り返れば、そこにはその瞬間のあなたや僕がいるはずだ。

物理的に観測できるかどうかはともかくとして、少なくとも光子は宇宙空間を飛び続ける。そこにはすべての歴史が記録されている。

要するに壮大な監視カメラ。僕らは永劫に、この宇宙に残り続ける。

No.43 ( 2006.10.4 )


  今、家に水頭症の仔犬がいる。犬種はミニチュア・ダックス。生まれて一ヵ月くらいで発症した。 CTの結果、頭の中はほとんど水で脳は数ミリしかないと獣医からは言われた。生きていることが不思議だって。 それが二ヵ月前。今はもうあまり動けない。目も見えていないと思う。餌や水も自力では摂取できない。 でも生きている。生きているどころか寂しいと鳴くし、抱くと甘える。僕にとって、とても大切な存在だ。

「放送レポート」次号の対談のお相手は、テレビ・ドキュメンタリーの大先輩の森口豁さん。 ムチャクチャ面白かった。刺激になった。唖然とした。ドキュメンタリーに興味ある人もない人も、是非読んでください。

No.42 ( 2006.9.12 )


  今NY。日本は9・12の午後5時半で、こっちは12の午前4時30分。夜明け前のホテルの一室。 更新、帰国前に間に合うかな。

昨日は9・11の式典はそれほどじゃなかったけれど(だいたいが関係者以外はフェンスの外で中がよく見えない)、 そのあとにピースフル・トモウロウ(戦争やテロの被害者 や遺族たちのグループ。報復はやめるようにと 呼びかけている)の式典とパーティに呼ばれた。

あらゆる宗教が混雑する慰霊の式典はとても厳粛で感激的。そのあとのパーティ。 南アフリカのアパルトヘイトに反対して政府に拷問されて両手と片足を失った牧師さんに、 「日本はあんなにすばらしい憲法があるのになぜ軍隊を持とうとするのか」みたいなことを言われた。 パーティ場の片隅では息子と夫を失ったイスラエルとパレスチナの女性二人 が泣きながら抱き合っている。 イラクやアフガンの遺族たちが談笑している。ロシアの北オセチア(だったかな)の学校テロで子供を失った母親もいる。 アフガンの母親もいる。

もちろん9・11の遺族もいる。デビッドは兄を失ったけれど、「兄の名前を対テロ戦争の理由に使わないでくれ」と 主張し続けている。ルワンダの遺族もいる。広島の被爆者の 会の代表の方のスピーチは皆の胸を打った。

時おり僕は間違える。思い込む。反省しない。妥協する。その場の雰囲気に飲まれる。 でも絶対に、大筋においては間違えていない。そんな思いを強く持てた夜でした。

その後のディナーは、グランドセントラル駅の名物店「オイスター・バー」に行く。 生牡蠣にロブスター、白ワインとシャブリ。たまには贅沢もいいか。生のハマグリがムチャクチャ美味しかった。 でもこれ、大丈夫なのかな。 一夜明けた今のところは、体調に変化なし。日本でも試してみよう。

今4時40分。今日も忙しい。

No.41 ( 2006.8.31 )


  気がついたら夏が終わる。ひたすら仕事に追いまくられた夏だった。海にも行かなかった。 カブトムシを採りにも行かなかった。禁煙もできなかった。コラムの更新もできなかった。悔いばかりが残る夏だ。

9月8日から渡米する。同行は吉岡忍、吉田司、元木昌彦、野中章弘ら、総勢14名の錚々たる団塊世代。 諸先輩たちは意気軒昂。僕もまだ、悔いてばかりの齢じゃないはずだ。11日には、テロや戦争の遺族たちと ニューヨークでディスカッションの予定。帰国は14か15日。

No.40 ( 2006.7.31 )


  友人の浄土真宗本願寺派の僧侶、池信秀見さんからのメールの抜粋を、 以下に(本人の承諾なく、 しかも勝手に文章の一部を加工して)貼りつける。

一昨日は、芳村くん(この人も本願寺派の僧侶・引用者註)とサンボマスターのライブへ。 ボーカルの山口さんが、北朝鮮のミサイル実験のことをMCで話していました。 「ダンコたる処置なんて言うなよぉ。俺は、戦争賛成か反対かはよくわからねぇけど、 みんなが死ぬのだけは絶対反対だぁ。」・・・すごく、すごくうれしくて。

浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来の名称は、サンスクリット語の「ア・ミダ」からきている。 「ミダ」とはこの場合、「測る」とか「わかる」などの意味。そして「ア」は反意を示す接頭語。 つまり阿弥陀如来を思い切り自分なりに解釈すれば、「何だかよくわからない神さま」ということに なる(仏教用語では「無量」という言葉を使い、「よくわからない」というよりも「計りしれないほど多い」 という意味のほうが正確なのかもしれないけれど)。

とにかく、何だかよくわからない状態への危機感がどんどん強くなり、何もかもがわからなければいけないような 風潮が広がり、黒や白、右や左、善か悪の二項対立ばかりにみんなが興味を示し、その狭間が消えつつある現在、 阿弥陀如来なるネーミングは、この世相に抗するように屹立している。とてもシンボリックだ。

No.39 ( 2006.7.4 )


  講談社のPR誌「本」に連載していた「ぼくの歌・みんなの歌」は次回8月号の「傘がない」で最終回。 全32回のはずだから二年と6ヵ月。我ながらよく続いた。集英社のPR誌「青春と読書」の連載「新・お伽草子」も そろそろ終盤(今は隔月連載)。クイック・ジャパンの連載「日本国憲法」や新潮社のPR誌「波」の連載 「東京番外地」も、やっぱりこの夏が過ぎる頃に終わる。

終わりの季節。考えたらここ数年、ずっと書き続けてきた。いろいろ思うところあり。

No.38 ( 2006.6.6 )


  退院しました。
船旅が一転して病院生活。船と病院はもちろん全然違うけれど、 隔離という意味では近いかな。
左腕は点滴の穴だらけ。 水を飲むとアメリカの昔のアニメのように水が滲みだしてくる。

No.37 ( 2006.5.26 )


  23日のコラムで書いたように、本当なら今頃は大西洋上にいるはずなのだけど、実は日本にいる。

フライト前日、突然の高熱で病院に運ばれた。今は一日二本の点滴と内服薬で様子を見ている。仕方がない。 久しぶりの休養のつもりで、たまっていた書籍を読んだりビデオを見ることで終日過ごしている。

P.S. たぶん深刻な事態ではないと思う。希望的観測だけど。

No.36 ( 2006.5.23 )


  25日から恒例のピースボートで、しばらく渡航します。コースはアイルランドからNY。 帰国は8日の予定。メールはたぶんチェックできるけれど100%じゃありません。

講談社のPR誌「本」連載のために、ここ数日ブルース・スプリングスティーン漬け。 この人、もし今の日本にいたら、きっと非国民と言われているだろうな。

No.35 ( 2006.5.9 )


  今月末には逮捕が噂されるヒューザーの小嶋社長と会った。いろいろ話した。 最後に、「行政、捜査機構、メディア、この三つの権力における知らなかった面を、小嶋さんは 今回の件で知ったと思うけれど、いちばん驚いたのはどれですか?」と聞いた。小嶋さんが何と 答えたか?みのもんたのクイズ番組で設問にしてもらいたいな。

彼は即答。「メディアです」

その小嶋さんの主任弁護人である安田好広さんをめぐって、今とてもきな臭い噂がある。 それが事実なら、この国はもはや司法国家ではない。だから緊急のトークショーが13日に開催される。

No.34 ( 2006.4.30 )


  もしもあなたが誰かを陥れようと思ったら、酒でも飲ませながら耳もとで、 「こういう儲け話があるんだよ」とか何とか、とにかく非合法なことを提案して、その誰かが「いいね、やろう」 とでも口にしたならそれでOK。隠しどりしたテープを警察に証拠として提出すればよい。 あなたは捜査に協力したとして罪を問われない。

共謀罪そのものはもちろんだけど、こうして密告・統制が進むという副作用の恐ろしさが、 僕はこの法律の何よりも悪しき部分であると考えます。

是枝裕和さんの「花よりも なほ」。試写会に行ってきた。一緒にテレビの憲法シリーズを 考えていた一昨年の段階で、「次の映画は仇討ちをテーマにする」と聞いていたので、 内容は何となく想像がついていたけれど、ふむふむとやっぱり嬉しかった。憲法第9条の映画です。 あるいは共謀罪でもあるかもしれないし、拉致問題という視点もあるし、 報復の連鎖が続くこの世界に対しての是枝さんのメッセージかもしれない。

見方はいろいろ。試写の案内に是枝さんは、「今度は娯楽作品です」とボールペンで添え書きしていた。

No.33 ( 2006.4.21 )


  いつごろからだろう。弁護士がこれほどに、批判や侮蔑の対象にされるようになったのは。

その背景には、「悪人の味方をするから同類だ」との、とても短絡的な発想が働いているように思えてならない。 その帰結として、麻原法廷を始めとして、近代司法の最も重要な基盤であるはずのデュー・プロセス (適正手続き)の形骸化が加速する。

誰かに適正な裁判を受けさせる権利を守ることは、僕らが公平な裁判を受けるための担保でもある。 自分は被告席に座るような悪人にはならないと、裁判の厳罰化・迅速化を要求する多数派のあなたは 言うかもしれない。オーケー。あなたは間違いを犯さない。でも僕は怖い。自分は決して加害者に ならないと言い切れるだけの自信がないからだ。だからあなたにお願いしたい。いつか何かの弾みで 加害者になるかもしれない僕のような弱い男にも、この国は公平な裁きを受ける機会を与えてくれると 思わせてほしい。罪の報いを受けることは当然だとしても、その手続きを省略するようなことは、 決してないと信じさせてほしい。

麻原の主任弁護人だった安田好弘弁護士は今、光市母子殺害事件の加害少年以外にも、 ヒューザーの小嶋社長や、カレー事件の林真須美らの弁護も引き受けている。 「どうして火中の栗ばかり拾うのですか?」そう聞いたら彼はおそらく、 「あのな、森、栗は火中にしかないんだよ」と答えるだろう。全身弁護人。大切な人だ。

No.32 ( 2006.4.06 )


おっとせいのきらひなおっとせい。

だがやつぱりおつとせいはおつとせいで

ただ「むかうむきになつてるおつとせい」

金子光晴の代表作「おつとせい」から引用。僕もあなたもまた、おつとせい。でも向きくらいは自分で決めたい。

No.31 ( 2006.3.21 )


  4月1日に高崎に行きます。目的は高崎映画祭。「高崎映画祭の20年」の特集における上映で、 上映作品は『A』。もしかしたら、この作品を上映することは久しぶりかもしれない。

高崎は今回が三回目。一回目は1998年か1999年くらい。上映作品は『A』で客席はガラガラ。 二回目は2001年くらいかな。上映作品はテレビ作品の「職業欄はエスパー」で、超能力者の秋山眞人さんと 上映後にトークショーをやり、その後は市内の和風旅館で、映画祭スタッフたちと打ち上げをした。 その宴会の席で、説明が難しい現象が起きて全員で軽いパニック状態になったのだけど、スタッフたちは覚えているだろうか?

いずれにせよ、久しぶりの映画祭に招待されて、この擬似映画監督もちょっとだけ嬉しい。

高崎映画祭

No.30 ( 2006.3.8 )


  僕ごときに何の力もない。それはよく承知している。でも同時に僕は、一審で死刑を宣告された 麻原彰晃が今、意思や感情がほとんど崩壊しかけていることも知っている。だからこそ彼に訴訟能力があるとして 結局は死刑確定を急ぐだけの裁判所と、矛盾を感じながらも言葉を発することができないメディアと、何の関心も 持たないこの国の民意に対して、とにかくできるかぎりは抗う。絶対に抗う。なぜなら今のこの状況にこそ、 オウム事件の本質と、その後に急速に変質した日本社会の断面が、典型的に現れているからだ。

No.29 ( 2006.2.18 )


  気がついたらコラム更新、一ヵ月以上サボっていた。これからはできるだけ毎週更新します。 一昨日は、長野の浅間温泉に一泊。信越放送のラジオ番組のゲストに呼ばれていたのだけど、 前日までこのことを忘れていたので、情報のUPもしないまま。事後になるけれど、以下にURLを記載します。

「ちょっといい話」(信越放送) 【※リンク先消滅のためURL削除】

夜は小室等さんと、老舗の菊之湯旅館に泊まる。酔っ払って露天風呂に入ろうとして、 足を滑らせて見事に仰向けに転倒した。死ぬかと思った。痛みに起き上がれず、 タオルくらい腰に巻いておけばよかったと後悔した。死ななかったけれど。

No.28 ( 2006.1.18 )


  TOKYO FM「森の朝ごはん」でお会いした環境工学研究者の中西準子さん。とても刺激的な話を聞いた。 BSEや環境ホルモン、鳥インフルエンザやダイオキシン、いずれもかつて(今も)その危険性で大騒ぎになったアイテムだけど、 綿密なデータでそのリスクを計測する彼女に言わせれば、いずれも大きな害はないという。

正確に言えば、もちろん害はある。でもそのリスクは、そのアイテムが持つハザードよりははるかに小さい。 例えば毒ヘビはハザードが強い。でも生息地は限られているし個体数は多くないからリスクは小さい。そういえば森巣博さんも、 「オーストラリアには世界有数の毒ヘビは多いけれど、誰も大騒ぎしていない」と言っていた。だって山の中だもの。

そのリスクとハザードが、今の日本社会では特に、渾然としてしまっている。わかりやすいリスクに高揚して大騒ぎしながら、 もっと本質的なハザードに気づかない。正月に山谷に行った。路上に溢れる酔っ払った男たち。 その横を自転車で走り去る女子中学生。公園のビニールハウスの横には幼い子供たち。

ふと気がついた。異物だらけのこの町には、監視カメラなど一台も設置されていない。

No.27 ( 2006.1.8 )


  テレビ朝日の日下雄一さんの訃報が届いたのは昨夜。死因はがん性胸膜炎。「朝まで生テレビ」の生みの親で チーフプロデューサーでもある日下さんに初めて会ったのは、もう15年近く前になると思う。闘病していることは知っていたけれど、 放送レポートの対談相手をお願いしたら快諾してくれて、昨年11月に久しぶりに全日空ホテルでお会いした。

開口一番、「体調も良くないし、そもそもこういう企画は断っているのだけど、森君だから来たんだよ」と言われ、とにかく恐縮した。 普段はあまり自分を語らない人なのに、この日の対談はなぜか幼年時代から始まる思い出話が続いて、「日下さん、いつもと違うなあ」と 思ったことを覚えている。結局はこの対談後、日下さんはすぐに入院したらしい。

この対談は、今発売中の「放送レポート」1月号に掲載されている。僕が「放送禁止歌」や「A」を撮るずっと前に、 部落差別やオウムや天皇制や原発をテーマに、テレビの自主規制的領域を侵犯した人だ。でもコワモテじゃない。とてもナイーブな人だった。

・・・短くはまとまらない。でも書きたかった。享年59歳。早すぎる。悔しい。

No.26 ( 2006.1.6 )


  戦後最大の寒波が続いている。確かに寒い。これまでの生涯でいちばん寒かった記憶は、テレビ・ディレクターをやっている頃に、 氷漬けマンモスを掘りに行ったシベリアだ。レナ川の上流、見渡すかぎりツンドラのど真中に簡易テントを設営して、テント生地の上に毛布を重ね、 シェラフを二重にしたけれど、永久凍土から浸み込む冷気には勝てなかった。しかもこのときは、マンモスの頭部を発見して撮影が無事終了した後に (詳しい経緯は省くけれど)遭難した。最後には食料もなくなり、近く(といっても100キロくらい離れている)の秘密軍事基地から装甲車で来た ロシア兵に救助された。ところがその装甲車が、走っていることが不思議なくらいのオンボロで、基地に運ばれる途中にキャタピラが切れた。 でもいちばんの艱難辛苦は、ドキュメンタリーを撮るというプランで出かけたのに、やっとの思いで帰国したら、ロケ中に始まったばかりの その番組が、あっさりとクイズ番組になっていたことだった。

No.25 ( 2005.12.27 )


  知り合いから粘菌をもらった。変形菌ともいう(正確には少し違うようだけど)。動物で植物で菌類で原生生物。 とにかく徹底したバリアフリーの曖昧な生物だ。でも迷路などの学習能力がある。局在化した感覚器官がないのに五感がある(かのように振舞う)。 判断力も示す。つまり、脳も神経ネットワークもないのに、高度な情報処理能力を示す。一部を切り取っても、サイズが小さくなるだけで同じように振舞う。 全身が感覚器官であり、運動器官であり、情報器官でもある。身体のすべてが自律性を持ち、個でありながら集合体。

・・・・書きながら、実はよく意味がわかっていない。今は小さなシャーレに入っている。つくづく思う。世界は広い。知らないことが、まだまだたくさんある。

No.24 ( 2005.12.14 )


  台湾では副総統と食事をした。当然ながら僕はスーツ姿。ネクタイ何年ぶりだろう。帰りに内側が鏡張りのエレベータに乗って我と我が身を見たら、 遠征に行って負けたサッカー選手みたいだった。髪を切りたい。でも今、切る時間すらない。名刺を作りに行く時間もない。 携帯電話のバッテリーが一日しかもたなくなったけれど、買い換える時間もない。決めた。来年は絶対に仕事を減らす。

No.23 ( 2005.11.30 )


  5日まで台湾に行ってきます。仕事を待っている方々。締め切りが過ぎて苛々している方々。本当にゴメンなさい。終わらなかった。 言訳だけど遊びじゃないです。帰国したら最優先でやります。特に青木さんと代島さん。本当に申し訳ない。 メールを送る勇気がないので、ここで謝罪します。

緊急の連絡は、日本ペンクラブに問い合わせてください。たぶん、教えてくれる(と思います)。

明日発売(12/1)のNewsweekに僕のコメントが紹介されているけれど、実際に言ったこととはだいぶ違う。というか、まるで逆になっている。 入稿前のチェックは約束してくれていたのに、結局それが為されないまま記事になってしまった。最近はこんなことが多い。とても熱心な記者だっただけに残念。

No.22 ( 2005.11.17 )


  緊急告知です。11月27日の日曜日、JR四谷駅前の主婦会館(03-3265-8111)で、「どうする!麻原裁判控訴審」(仮)なるシンポジウムに出席します。 ゲストスピーカーは、今のところ僕以外には有田芳生さん。他にも誰か来るかもしれない。12時会場で4時半には終了する予定。 今の日本が大きく変わった結節点にあるオウム事件。そのコアにあるはずの麻原彰晃の裁判が、このままでは不明瞭なまま闇に埋もれてしまう。是非来場してください。

No.21 ( 2005.11.10 )


  11月10日の日記

11時~赤坂プリンスでLIVEDOORニュースのインタビュー。取材してくれたお二人がとても真摯で、メディアの現況についても高い問題意識を持っている。 ふと視線をめぐらすと、隣のテーブルで三浦和義さんが打ち合わせ中。今度、映画の企画をプロデュースするとのこと。

1時~赤坂プリンスすぐ脇のボートハウスで、「らでぃっしゅぼーや」社長の緒方大助さんと対談。食の価値が一元化しすぎているとの言葉が印象に残る。

4時~葛飾区教職員組合の教研集会で講演。終了後、なぜか水天宮でFM東京「森の朝ごはん」のスタッフとワインを飲みながら今後の打ち合わせ。 プロデューサーの東海林直子さんが、ネオ・シーダーを吸っていた。ニコチン・タールの含有量はゼロとのこと。なるほど。 これと禁煙ガムを併用すればやめられるかもしれない。でも煙は煙。ニコチンはともかく、本当にタールもないのか?でも医薬品だものな。うーむ。やっぱり不思議だ。

No.20 ( 2005.10.27 )


  「グレート東郷伝」やっと脱稿。久しぶりの書き下ろし。タイトルは『悪役レスラーは笑う』の予定。 「世紀の悪役」グレート東郷の笑顔は、本当に魅力的。昨日は新党「大地」の鈴木宗男さんと話す。ほぼ一時間半のあいだに、彼は三回くらい涙ぐんでいた。 そしてやっぱり笑顔は可愛い。つくづく直情径行の人なのだろうな。ニール・ヤングの新譜を買った。ずいぶん太ってアーネスト・ボーグナインのようになっていて驚いた。 でも声は相変わらず少年。久しぶりにアレフ道場に行った。麻原彰晃の精神鑑定は進んでいる。そういえば彼も笑顔は可愛い。 最悪の場合は一審確定。でももう誰も関心を示さない。ちょっとだけ映画に出ることになった。相手役は宍戸錠さん。ジャーナリストの役らしい。 そろそろ煙草やめなくちゃ。中年男は皆可愛い。

何も変わらない。大きな盥の中でぐるぐる回っているだけ。違う場所に行っても同じところに帰ってくる。

No.19 ( 2005.10.6 )


  場所は福岡の二日市温泉。前の日は遅かったので、翌朝起きてから僕は、朝九時からやっている公衆浴場を利用した。いちばん風呂だ。 身体を洗っているとガラス戸が開いて、見事な刺青を全身に彫った初老の男が入ってきた。見事なもんだなあと感心しながら頭を洗い、 泡を流し終えたら、隣にその刺青がいる。何でわざわざ隣にと思って顔を見ると、先ほどとは別の男だ。気がつくといつのまにか、五人ほどの刺青男たちが周囲にいる。 でもこれで終わらない。その後も続々と刺青男たちが入ってくる。最終的には、総勢二十人ほどの男たち。観音様や昇り龍、天女に桜吹雪と浴室内は花鳥風月の世界だ。 肌に何も入れていないのは僕一人。ところが男たちは、別に互いに知り合いというわけじゃないようだ。みんな寡黙だった。なんだか不思議な空間だ。 男たちも、おやおや素人さんがいるよって感じで、何となく気にしていた。いい湯だった。でもあれは、一体何だったのだろう。

No.18 ( 2005.9.16 )


  『A』撮影日誌に、「毎年のことだが夏の終わりは苦手だ」と書いたのは1996年。やっぱり相変わらず夏の終わりは苦手だ。 無性に人が恋しくなる。だから今日も、終日机に向かうつもりでいたのに、夕暮れになるとそわそわする。その繰り返しで9年が過ぎた。 もうすぐニール・ヤングの新譜が出る。今は毎日、それを楽しみに生きている。

No.17 ( 2005.9.2 )


  特定の候補者の応援をすることに対して、僕の周囲ではあまり評判はよくない。表現行為に身を置く立場としては、 政治には距離が必要だというところなのだろうけれど、でもそもそも僕は社会派じゃないし、政治や経済に強い関心などない。つまり距離は充分にある。

それにドキュメンタリーにおける被写体との関係性にも通じるけれど、距離など意識的に調整できるものじゃない。僕は単純に、野党不在のこの状況が嫌なだけだ。 同時に、国政の場にいてほしい人は何人かいる。保坂展人に辻元清美に鈴木宗男だ。彼らの力になれるのなら応援する。それだけ。

不安は他にある。僕の応援が票に繋がるのだろうか。道行く人で僕の顔を知っている人など、おそらくはほとんどいないし、 仮にいたとしても、「オウムの映画を作った人らしいわよ」との反応だと思う。ならば候補にとっては逆効果だと思うのだけど・・・。

No.16 ( 2005.8.25 )


  テレビ・ドキュメンタリーの映像祭「地方の時代」の審査員を引き受けてから、今年で三年目。だから夏の終わりのこの時期は、 毎年ひたすら、応募してきた膨大な数のテレビ・ドキュメンタリーを観続けるのだけど、今年はやはり、終戦60年企画が多い。

それらの作品のほとんどは、戦争の不条理や非合理さを、懸命に訴える。あの戦争は聖戦だったとか、アジアを解放するためだったなどと、 露骨に保守化・右傾化する社会の傾斜に共振するドキュメンタリーなど、見事にひとつもない。

その理由は単純だ。調べるからだ。調べさえすれば、知りさえすれば、戦争になど一部の理もないことなど、つくづく実感する。

少し旧聞だけど、今年の週刊ポストの新春号で、石原慎太郎都知事は、「今の日本人が、内面空虚で外側がぶよぶよになってしまったその理由は、 60年間戦争をやってこなかったからだ」と発言している。つくづくどうかしている。でももっとどうかしているのは、 そんな発言が全く問題にならない今の社会のほうなのだけど。

No.15 ( 2005.8.18 )


  「外務省のラスプーチン」佐藤優さんと、新宿の韓国料理店で飲んだ。ちょうど六カ国協議が渦中の頃で、 「拉致問題に対してアメリカや韓国は素気ないけれど、佐藤さんはあれ、どう思っている?」と聞いたら、「あれはね森さん、 他の国はオセロをやろうとしているのだけど、日本は将棋盤を持って行ってるんだよ」との答えが返ってきた。なるほど。 核開発問題と国交正常化、誰がどう考えても、優先順位は拉致問題よりこちらのほうが高い。でも今の日本では、 被害者とその遺族を人質にとられたかのように、なかなかそれを口にできない。

こうして夏が終わる。毎年のことながらこの時期は苦手だ。小林よしのりの「靖国論」を読む。 今さらだけど、いくらなんでも論理と思想が粗雑過ぎる。どこがどう粗雑なのか。これについては、ちゃんとどこかに書く。

No.14 ( 2005.7.29 )


  肩書きのひとつは「映画監督」だけど、「A2」以降は撮らないどころか、ほとんど観ていない。 最後に劇場で入場券を買って観たのは何だろう? たぶん「着信あり」だ。

二十代の頃は週に三日は名画座に通っていた。「人生の大切なことのほとんどは映画館で学んだ」とまでは言えないけれど、 でも三分の一くらいは学んだような気がする。

で、このあいだ、渋谷のユーロスペースで「いつか読書する日」を観た。監督は緒方明。 拙著「池袋シネマ青春譜」の終盤で、石井聰互作品の助監督として登場する彼の新作だ。

上映が終わった後の客席で、やっぱりもっと映画を観なくては、とつくづく思う。映画を作る作らないは大したことじゃないけれど、 観ない人生は確実に損をする。とにかく秀作。まだ観ていない人は是非。

No.13 ( 2005.7.12 )


  昨夜(11日)オーストラリアから帰国した。行きの飛行機では、大澤真幸さんにばったり。 シドニーで学会があるそうだ。

僕の予定は、アデレード大学と国立オーストラリア大学で上映と講演会。有意義だし楽しかったけれど、 やっぱり旅は疲れる。それに最近は、楽しいと必ず、その分だけ疲弊する。ならば疲弊すればその分楽しいかというと、 そうでもない。人生はプラスとマイナス両方あるけれど、トータルすればきっと、マイナスのほうが少しだけ多い。 少なくとも僕はそうだ。カジノと同じだ。

ケアンズから船で二時間。グレートバリアリーフ内にあるMICHAELMAS CAYと呼ばれる島に行った。 島と書いたけれど正確には島じゃない。珊瑚の砂だけでできた一周15分ほどの小さな礁だ。満潮の際には半分以上が 海面下に沈む。中心部には、何種類もの海鳥たちが所狭しと営巣している。そしてその鳥たちの死体も、 びっしりと島を覆っている。不思議な光景だ。同族の死体に囲まれながら子孫を育てる鳥たちは、文字通りのメメント・モリだ。 ホテルに帰って部屋のテレビのスイッチを入れれば、ロンドンの地下鉄テロの映像が映しだされていた。

No.12 ( 2005.6.29 )


  7月3日からオーストラリアに行く。テッサ・モーリス‐スズキさんのコーディネーションで、 幾つかの大学で上映会と講演会。帰国は11日。スケジュールの後半は、テッサさんのご夫君の森巣博さんと遊ぶ予定。

森巣さんと遊ぶとなると、これはもうカジノということになるのだろうけれど、僕はギャンブルにはほとんど興味はない。 ならばグレート・バリア・リーフで潜りましょうかなどと計画を立てていたら、10月に刊行される予定の森巣さんとの対談本の担当編集者、 集英社の落合さんが、突然後半のスケジュールに合流することになった。対談の最後の詰めを行うとのこと。sigh・・・。

No.11 ( 2005.6.24 )


  誌上で二本の連載(「A3」、「BOOK その筋に聞く」)を続けている月刊プレイボーイ(PB)が、日本版創刊30周年を迎えた。 ところで未だにPBというと、過激なポルノ雑誌のように思っている人が少なくない。

僕の周囲でも、「連載は読みたいのだけどレジに持ってゆくのがどうしても恥ずかしくて・・・」という声がとても多い。 実際に手にとってもらえればすぐわかるけれど、ヌードグラビアなど今のPBでは、ほんの数ページしかない。 しかも世界中で売られているPBだけど、プレイメイトを表紙に使わないのは日本版だけだ。

今月号の特集は「ノンフィクションと開高健」。そして来月号は「ボブ・ディランとプロテスト・ソング」。 非常に硬派な雑誌なのだ。ちなみに今月号は、大先輩の足立倫行さんによる森達也インタビューも掲載されている。 担当編集者の松政さんのメールには、「今月号はもりだくさんですね」と書かれていた。

No.10 ( 2005.6.14 )


  劇団で芝居をしていた頃、同期に平野清弘という男がいた。俳優の川谷拓三(故人)に雰囲気がとても似ていたので、仇名はタクチャン。

そのタクチャンから、ずいぶん前に連絡があった。一度飲もうと約束したのだけど、それから一年近く、その約束をなかなか果たせないでいた。 最近、彼の携帯に電話したら、「使われておりません」のアナウンス。困ったな。会いたいのだけど。

で、今回のコラムは、そのタクチャンへのメッセージ。私物化で申し訳ない。確か前回は、このHP見て連絡くれたような気がしたのだけど、 タクチャン、こちらの番号は変わっていない。連絡乞う。もしもお心当たりの方がいたら、管理人の宮澤さんまでご一報いただければありがたいです。

No.9 ( 2005.6.7 )


  畑作業がやっと一段落。今年植えたのは、茄子、ピーマン、トマト、胡瓜、カボチャ、ジャガイモ、里芋、ホウレンソウ、インゲン、 唐辛子、ゴーヤー、青シソ・・・まだあったかな。改めて書いてみると、葉モノはホウレンソウくらいで実モノばかりだ。去年まではキャベツやレタスも 植えていたけれど、葉モノはやっぱりどうしても虫がつく。かといってケミカルな薬や肥料は使いたくないし。いずれにせよ問題はこれから。 要するに雑草との闘いだ。「森さんはいつも最初だけは張り切るよね」とこのあいだも近所の人から笑われた。三週間ほど前に拾ったネコ二匹は、 握りこぶし二つ分くらいになった。日は昇り、そして日は落ちる。こうして時は過ぎる。

No.8 ( 2005.6.2 )


  7月4日、文京シビック・ホールで「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」公開シンポジウムが開催される。前回のこのコラムにも書いたけれど、 警察と検察、そして司法の現在の歪みは、ここは独裁国家かと思いたくなるくらいに本当に末期的だ。僕も呼びかけ人に名前を連ねているのだけど、 所要あって参加できない。とても申し訳ない。

でもぬけぬけと書くけれど、本当に重要なシンポジウムだと思います。参加すればきっと誰もが、ここまでひどいのかと吃驚するはず。

No.7 ( 2005.5.28 )


  一昨日の夜、旧知の共同通信社会部の記者から携帯に、「A2」のメインの被写体だったオウム信者が警視庁公安部に逮捕されたとの連絡があった。 「容疑は?」そう訊ねる僕に彼は、「職業安定法違反ということらしいのだけど、普通はこんなことで逮捕などしませんよねえ・・・」と困惑したようにつぶやいた。

主犯格として逮捕された信者自身は、この摘発を受けた会社に、ほとんど関与していなかったとの情報もある。何よりも彼は、すでに一年以上も前に教団を脱会して、 今では普通に働いている。なぜ今頃になって、公安はこれほどに強引な逮捕劇を演じねばならないのか?テレビでは彼の写真や名前と合わせて、 オウム施設への家宅捜査の映像が映し出された。たぶん彼の現在の家や職場にも、ガサ入れは入っただろう。こうして彼の社会復帰への道は閉ざされる。 おそらくは不起訴だろう。でもメディアは、逮捕は大きく報じても不起訴はほとんど報じない。

こうして「オウムは相変わらず危険な集団」とのイメージは刷りこまれる。公安にとっては、権益は維持される。でもこの逮捕劇に対しての批判的な論調は、 今のところマスメディアにはまったくない。十年が過ぎたけれど何も変わらない。社会のセキュリティへの希求ばかりが高まるだけだ。

No.6 ( 2005.5.12 )


  久しぶりに変な夢を見た。夢の中で僕は、関取だった。まだ髷も結わずに全盛期の長州力みたいな髪型だったから、 入門して間もない頃という設定なのだろう。

ところがなぜか、その日の千秋楽で朝青龍との大一番を迎えることになり、大相撲の末、上手投げで勝ってしまう。 その瞬間、場内は座布団が舞って大騒ぎ。すっかり夢見心地で部屋に帰るために国技館の外に出て、歩道橋を渡っていたら、 さっき負かしたはずの朝青龍が反対側から歩いてくる。まずいと思ったけれど、歩道橋は人一人がやっとすれ違えるほどの広さしかなく、 僕は体を横にして横綱をやり過ごそうとしたのだけど、すれ違う瞬間にぽかりと殴られた。

まあ、こんな駆け出しに投げられたのだから、気持ちは分かると思って一発は耐えたが、また二発目をぽかりとやられたので、思わず切れた。 つかみかかろうとしたところで目が覚めた。さて僕の無意識は、いったい何を言いたかったのだろう。

No.5 ( 2005.4.20 )


  「東京人」の企画で、高田渡さんにインタビューしないかとの依頼があったのは、カナリア諸島からジャマイカに向う船の上。 でも帰国後に、高田さんが北海道でライブが終わった後に倒れて入院したとの報せで、その企画は一旦は宙に浮いてから、小室等さんにお願いすることにした。 そのときには、まさかこれっきりになるとは思ってもいなかった。

吉祥寺の老舗の焼き鳥屋である「伊勢屋」で、昼間から飲んでいる高田さんとばったり会うことが何回かあった(ということは、僕も昼間から飲んでいたわけだけど)。

顔を合わせるたびに高田さんは、「バカだなあ、こいつはね、どうしようもないバカなんだよ」と周りの人に言うのが口癖だった。 要するにオウムの映画を撮るようなバカなんだというつもりらしいが、いつもにこにこと笑いながら、「バカだよね、しょうがないよなあ、 後先なにも考えていないんだもんなあ、困っちゃうなあ」と、あの口調で、嬉しそうにもごもごつぶやいていた。 大切な人がいなくなる。どんどんいなくなる。

暖かい人だった。酒はほどほどにしましょうねと、一回くらいは言えば良かった。

No.4 ( 2005.4.16 )


  4月中にタバコをやめます。また始まったよと笑う人はいるかもしれないけれど、今度は本気。 とにかく自分からあらゆる「依存」を抜きたい。4月中というところがミソなんだ。あと2週間。

今日からやめるつもりでいたけれど、起きてすぐ一本吸ってしまったから、今日は断念。 5月に入ってから僕が(もし)タバコを吸っていたら、 「何と意思の弱い奴だ」と嘲ってください。 5月、新装なったアップリンクで僕のテレビ作品特集上映をやってくれます。 それにしても、誰かDVD化してくれないかな。

No.3 ( 2005.3.11 )


  18日からしばらく日本を留守にします。旅程は香港~スペイン~ジャマイカ~ニューヨークと、少々分裂気味。 20日には一旦帰国します。ここのところ相当にオーバーワークだったので、少しのんびりしてきます。とはいえ、そんなに優雅な旅じゃないのだけど。

天皇ドキュメントは、二日前に正式に中止となりました。これについては、いずれ何らかの形で書くつもり(「クイック・ジャパン」の59号で、 その直前までの経緯については触れています)。・・・何だかねえ。同じことを繰り返している。つくづく学習能力がない。

No.2 ( 2004.10.22 )


  山平和彦さんが亡くなったことは、13日の朝、共同通信の旧知の記者からの連絡で知った。 「放送禁止歌」がテレビで放送された後、「こうなったらもう一度やるよ」と再デビューしたことを知らせてきた。 その後のライブでは、髪を肩まで伸ばしていた。客の入りは少し寂しかったけれど、にこにこと嬉しそうにギターを抱えていた。

終わった後の打ち上げで、「おう来たか」とにっこりと微笑んだ。不思議な偶然だけど、事故の報せを受けた13日は、 都内で「放送禁止歌」の上映会があり、僕もその場に呼ばれていた。スクリーンに映る山平さんは、やっぱり少しだけ寂しそうだった。 あの日は確か、撮影終了後、彼の事務所でとうじ魔さんも参加して、みんなでビールを飲んだ。編集作業が気になっていた僕は一時間くらいで 辞去したけれど、それからとうじ魔さんとカラオケに行って大騒ぎしたことを、後で聞いた。楽しかったぜと笑っていた。

ずるい人だ。いつも先に行く。先に決める。それから知らせてくる。終わったよって知らせてくる。僕はいつも取り残される。

No.1 ( 2004.7.13 )


  姜尚中さんとアウシュビッツ行ってきました。いろいろ思うところがありました。結局は巨大な被虐の歴史なんですね。 展示を見て痕跡に触れて、で結局、加害したドイツ人は残虐非道なモンスターにしか見えない。

この記憶と憎悪、そして帰結が全世界の萎縮に繋がり、イスラエル国家に結実し、今のこの世界の争いの根幹を為していることを考えると示唆的です。 被害の記憶はもちろんとして、加害者への思いを馳せることがこの輪廻を絶ちきる有効な手段なのだとつくづく思いました。




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