No.144 ( 2011.12.01 )


  毎日新聞11月27日朝刊から、加賀乙彦さんのコメントを以下に引用します。 僕がこれに加えるべきことは何もない。

真相が何も分からないまま、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚には「死刑」という結果だけが出た。 もっと時間をかけて彼から言質を引き出し、なぜ教養や技術のある精鋭たちが彼の手の内に入って、 残酷な殺人事件に引き込まれたのか明らかにする必要があった。それが裁判所の使命なのだが、放棄してしまった。 私はこの裁判が終結したとは思っていない。法律的には死刑が確定したが、松本死刑囚の裁判は中途半端に終わってしまい、 裁判をしなかったのと同じだ。

06年、弁護団の依頼で松本死刑囚に東京拘置所で接見した。許された時間は30分だけ。 短時間では何も分からないと思うかもしれないが、私には自信があった。 医師として、過去に何人もの死刑囚を拘置所で見ているが、松本死刑囚は完全に拘禁反応に陥っていた。 何の反応も示さず、一言も発しない。一目で(意識が混濁した)混迷状態だと分かった。 裁判を続けることはできないので、停止して治療に専念させるべきだと主張したが、裁判所は「正常」と判断した。

  拘禁反応は環境を変え時間をかけて治療すれば治る病気だ。かつて東京拘置所で彼と同じ症例を4例見たが、投薬などで治すことができた。 治療すれば、首謀者である彼の発言を得られた可能性があっただけに残念だ。

  結局、松本死刑囚から何一つ事件についてきちんとした証言が得られないまま裁判は終結した。 このまま死刑が執行されれば、真相は永久に闇に葬られてしまう。オウム事件の裁判ほど悲惨な裁判はないと思う。 世界的にもまれな大事件を明らかにできないままでは、全世界に司法の弱点を示すことになる。

  なぜ松本死刑囚に多くの若者が引きつけられ、殺人行為までしてしまったのか。 信者の手記など、文献をいくら読んでも私には分からない。 教祖の自白がなければ、なぜ残酷なことをしたのか解明もされず、遺族も納得できないはずだ。

  「大勢を殺した人間は早く死刑にすべきだ」という国民的な空気にのって、裁判所もひたすら大急ぎで死刑に走ったように感じる。 だが、真相が闇の中では「同じような事件を起こさせない」という一番大切な未来への対策が不可能になってしまう。 再びオウム真理教のような集団が生まれ、次のサリン事件が起こる可能性も否定できない。 形式的には裁判は終わったが、彼らを死に追いやるだけで、肝心な松本死刑囚が発言しないでいる今、あの事件は解決したと思えない。


No.143 ( 2011.11.23 )


  突然のこの大ニュースのような扱いが不思議だ。中川智正さんにしても遠藤誠一さんにしても、 最高裁の上告棄却はほぼ予想できたし、日程だってずいぶん前に決まっていた。 つまり予期せぬことなど何ひとつ起きていない。

  ならばどこにニュース性があるのだろう。

  もちろん僕はオウムについて、社会はもっと考えるべきという立場だ。依頼を受ければコメントするし、 多くの人が振り返って考えるならば、この騒ぎを無意味とは思わない。 でもここ数日のメディアの狂奔状態は、やっぱりとても不自然だ。 しかもそのほとんどは、「麻原は口を閉ざし続けている」のレベルだ。 もしあなたが「A3」を読んでくれているのなら、 このフレーズがいかに浅薄で無責任で悪質であるかについて、きっと実感してくれると思う。

日本のメディアが「終結」とか「節目」とかの言葉が大好きなことは知っているけれど、 だったら毎年3月20日の冷淡ぶりはどうだろう。

メディアと社会はほぼ重複している。結局はお祭り。日程が過ぎればあっというまに冷める。 次の祭りは誰かの執行のとき。中川智正さんの前に死刑判決が確定した信者の名前を、 いったいどのくらいの人が知っているのだろう。

No.142 ( 2011.11.02 )


  全国に13ある国立ハンセン病療養所の一つである星塚敬愛園(鹿児島県)を訪ねて きた。お会いしたのは、今年93歳になる玉城シゲさんだ。ただし本名は茂子さん。 入所者たちは強制的に偽名を名乗らせられる。シゲさんは20歳の時に敬愛園に収容された。 つまりこの施設で73年間を過ごしてきた。

入所して二年後に、シゲさんは年上の入所者と結婚した。 やがて妊娠したけれど堕胎手術を受けさせられ、引き出された7ヵ月の女の子は、 医師や看護師たちに鼻と口を濡らしたガーゼで押さえられ、手足をバタバタさせながら目の前で死んでいった。

その後しばらく母乳が出続けて、そのたびに辛くて泣いていた。父親は断種手術を強制された。 その子の遺体は、施設内の研究施設の棚に、ずっとホルマリン漬けにされて置かれていた。

前近代の話ではない。この国は1996年まで、強制隔離や断種手術の法的根拠とされてきた「らい予防法」が存続していた。 ハンセン病はきわめて伝染力が弱く、特効薬であるプロミンが1943年に開発されて世界中で隔離政策をとる国がほぼなくなってからも、 日本の絶対隔離の方針は変わることなく、元患者たちの社会復帰は許されなかった。今だって差別は消えていない。

ここにはこの国の歪みの根源がある。 弱者を虐げ、集団に身を任せ、見るべきものや知るべきことから目をそむけるこの国の負の要素が、すべて凝縮されている。

いきなり訪ねた僕にシゲさんは、冷蔵庫から取り出したリポビタンDをくれた。 その後に訪ねたもうひとりの入所者の方も、やっぱりリポビタンDを冷蔵庫から出してきた。 呑みながら切なかった。悔しかった。そして申し訳なかった。

No.141 ( 2011.10.02 )


  10月6日から8日まで韓国の釜山国際映画祭に参加します。 「311」上映は8日。帰国したのその足で山形に行き、 山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加します。上映は9日の朝。 シンポジウムにも登壇予定。19日から22日まではアメリカのイエール大学で 行われる日本史研究家たちが集まるワークショップに参加して、 やはり「311」上映してきます。帰国予定は22日。

No.140 ( 2011.9.13 )


  鉢呂経済業相の辞任を知ったとき、東海テレビのテロップ騒動を思い出した。

東海テレビが画面に表示した「セシウムさん」とか「怪しいお米」とのテロップを見 て、いったいどれほどの人が「そうか。岩手のお米はセシウムさんなのか」とか「怪 しいお米なのか」と思うだろう。つまり実害はない。

そう主張すれば、「風評被害はイメージの集積によって為されるものであり、そのイ メージの一つとしてこのテロップはきわめて悪影響を与えた」と反論されるかもしれ ない。ならば「イメージや影響力の多寡を言うのなら、この騒動を伝えるほとんどの マスメディアのほうが、ローカルテレビのワイドショーよりもはるかに影響力は大き い」と反論する。

ありえないほどにお粗末で不謹慎で幼児的で緊張感がなさ過ぎることは確かだ。でも 件のCG制作担当者を懲戒解雇にし、他のスタッフたちも処分し、社長の謝罪を放送 し(まあこれくらいはあってもいいか)、スポンサー企業の多くが広告出向を引き下 げるようなことだろうか。

当事者(この場合は岩手の人たち)が怒ることは当たり前。でもどちらかといえば当 事者ではない人たちが、「けしからん」といきりたっているような印象がある。要す るに第三者による被害者の聖域化。そう考えれば、拉致問題や死刑問題とも構造は近 い。

「セシウムさん」テロップと同様に「放射能を付けたぞ」発言も、(実際にそのよう に発言したのなら)確かにお粗末で幼児的だ。相応の処分は当然だ。でもその「相応」 に、「辞任」は本当に適当なのだろうか。首相の任命責任を追及しなければいけ ないほど悪質な発言なのだろうか。この処分によって生じる復興や支援のデメリット を、社会は冷静に考察しただろうか。

書きながらもう一つ似ているものを思い出した。小学校の反省会だ。

No.139 ( 2011.9.4 )


  日本脱カルト協会が記者会見で「A3」への抗議を発表したと知ったときには、実のところ少しばかりわくわくした。 これでようやく論争ができるかもしれないと思ったのだ。

でも抗議文全文を読み終えた感想を一言にすれば、やっぱり反論する気が失せた。

麻原無罪を主張しているとか水俣病説を分析しないまま引用しているとか、これらの指摘に対して言えることは、 「批判するのなら、ちゃんと『A3』を読んでください」しかない。

僕が『A3』で展開した“弟子の暴走”論は、麻原と側近たちとの相互作用を前提に置いている。無罪だなどと主張するつもりもないし、 そもそもそんなことは書いていない。他にも確定した判決文を一部しか紹介していないとか、「A」についての基本的な情報を提供していないとか、 サイゾーの記事はどうだとか、ちゃんと「A3」を読んでいないのか、あるいは恣意的に誤読しているのかはわからないけれど、 このレベルでは反論する気にもなれない(補足するがすべて反論できる。ただ反論するレベルが哀しいだけ)。

最も重要な論点である麻原の精神状態に対する認識の相違を議論することができるのでは、と期待したけれど、そんな論点は抗議書のどこにもない。

それに彼らは講談社に対しては抗議しても、森達也に対しては抗議してこない。公開討論を求めてもリアクションはない。 とにかくうんざりだ。基本的には黙殺する。本音としてはこの火に油を注ぎたいけれど。

No.138 ( 2011.8.10 )


  ノルウェーで生まれ育ち、たまたま今は大阪にいる19歳のS.M.さんに、ウートイヤ島で起きた
今回の事件について、思うことを書いてもらった。僕は彼女に会ったことはないし、どんな内容に
なるのかはまったく想像がつかなかった。でも読み終えて、できるだけ多くの人に読んでほしいと
思ったので、了解を得て以下に全文を引用します。

  ノルウェーには死刑がない。人間は苦しみを与えられてはならず、その命が他の目的に利用され る存在であってはならないと考えるからです。今も死刑を行っている国は、(幼い子供たちも含めて)すべての 国民に、「殺人で問題は解決する」というメッセージを与え続けていることになります。これは間違っています。 犯罪者の命を奪っても犯罪は撲滅できません。残された憎しみと悲しみが増えるばかりです。
ノルウェーに死刑がないことを、私はノルウェー人として誇りに思っています。

ノルウェーで死刑復活を望む人は多数派ではありません。もし誰か、たとえばウートイヤ島の若者たちを攻撃した テロリストが、私たちのこの価値観を脅かそうとしたら、そのときには私たちは、共に手をとることで応えることを 望みます。憎しみで応えてはならないのです。

事件後にストルテンベルグ首相が、ノルウェー在住のイスラム系の人々と共にモスクで「多様性は花開く」と語ったとき、 そしてこの民主主義の核心への攻撃がかえって民主主義を強くするのだと語ったとき(http://www.vg.no/#!id=42543, 2011年7月31日)、 私は本当に誇らしく思いました。これこそがノルウェーだ、これは忘れてはならないこと、そして変えてはいけないこと、そう思ったのです。

首相の姿勢は、大多数、いえ、ほとんどのノルウェー人の思いの反映です。ノルウェー国民は今、なによりも共に手をとり、 互いの肩にすがって泣き、こんな攻撃に連帯を弱めさせまいとしているのです。被害者の母親の一人は、事件後にインタビューで、 「「一人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。一人の人間がそれほど愛を見せることもできるはずです」と 語っています。私の友人たちも知り合いも、みな同じ態度で臨むと言っています。

この事件によって、ノルウェー社会を変えてはいけないのです。犯人が望んだのは、まさに私たちの社会を変えることなのだから。 彼の望みを叶えさせてはいけない。これが重要なのです。だから死刑復活などあってはならない。これはノルウェー人の一般的な見解です。

ノルウェーの法律では禁固21年が最高刑となっていますが、アンナシュ・ベーリング・ブライヴィークはきっとそれ以上の長さの 刑を受けることになるでしょう。特別な場合には例外的にそうされることがあるのです (注:出所前段階でのチェックで、まだ社会に出る準備ができていないと判断された場合には、延長可能)。

また受刑期間の一部は、精神病院で強制治療を受けることになる可能性も十分にあります。ノルウェーでは精神的に問題のある犯罪者を、 刑務所での禁固に加え、あるいはその一部として、治療を受けさせることはよくあるのです。私はこれもノルウェーの刑務システムでは 重要な特徴だと思うのですが、刑務所のような厳しい環境に適応できたり利用できたりできる犯罪者ばかりではないからです。 ベーリング・ブライヴィークについては、私は情報も知識も不十分なので、判断はしないでおきます。 が、裁判でそれが適切とされれば、彼は刑期の一部を精神治療として強制されるでしょう。

犯人の政治的姿勢についですが、彼はノルウェーの政策の中でも、特に移民政策に反対する極右思想の持ち主です。 ノルウェーの移民政策は非常にリベラルで、毎年数千もの市民権申し込みが承認されています ( http://www.udi.no/sentrale-tema/Statsborgerskap/)。 そのために私たちの社会は、複数文化社会となっています。
私も、また他のほとんどのノルウェー人も、これをよいことと思っています。社会の多様性は、他者や異文化に対しての 寛容さを作り出します。イスラム教はノルウェーではキリスト教に次ぐ大きな宗教で、信者は7万9000人といわれます。

今日のノルウェーで、レイシズムはほとんど問題になっていません。私自身、もう何年も、レイシズムによる暴力行為や 偏見差別について誰かが口にするのを、聞いたことがないくらいです。私の通っていた学校でも、多くの民族の子供たちがいながら、 まったく問題はありませんでした。この点も私がノルウェーを誇りに思うところです。 だからこそ、今の政策を変えるべきではないと思うのです。

民族的にノルウェー人ではないノルウェー国民も、同じノルウェー人とみなされています。私が子供の頃は、それに対して特に何も 考えてはいませんでした。ノルウェーに住んでいる人はみなノルウェー人だと、当たり前のように思っていたのです。 今になって、ノルウェーはやや特異な立場にあるのだとわかってきました。特に日本はこの点において、 ノルウェーよりはるかに遅れています。市民権を得ることはとても難しいし、取れたとしても、同じ日本人としてはなかなか扱ってもらえません。

ノルウェーでは移民たちの習慣や日常を、できるかぎり尊重します。たとえばイスラム系の生徒が望めば、 学校給食にハラルを使うことが普通です。ベーリング・ブライヴィークのように、こうした政策に反対する人も、 (きわめて少数派ですが)存在します。こんなことを許し続ければ、しまいにはノルウェーの社会や文化が 変わってしまうと彼らは主張します。でもこれは完全に間違っています。出自が異なる文化の人たちに、 多数派である私たちが合わせる努力をすべきなのです。ノルウェー国民は決して器用ではありません。 だからこそ私たちは努力しなくてはならないし、この制度を大切にしていかなくてはなりません。 そして移民としてやってきた人々も、私たちの社会に溶け込めるように努力しています。これは相互の責任です。

実はノルウェーでも過去には、少数民族を同化させようとしたこともありました。ノルウェー北部に住むサーメという先住民族です。 サーメ語を話すのを禁じ、サーメ宗教の儀式を禁じる規則ができました。学校ではこの規則に違反すると、 サーメ人の子供は罰されたのです。サーメの子供たちは、民族的ノルウェー人の子供からも大人からも苛められました。 もちろん私たちは今、絶対にこんなことを繰り返すべきではないと思っています。
1800年代、そして1900年代にアメリカに移民したノルウェー人とその子孫は、今に至るまでアメリカでノルウェー文化や ノルウェー語の一部を守っています。ルーツを忘れたくないというのは、人間の自然な気持ちなのです。

ノルウェーはとても小さな国です。今回のテロ事件の衝撃や影響はが、とても大きいことは確かです。 でもノルウェーは変わりません。こんなときこそ支えあい、テロに対抗するために連帯を強め、 民主主義を確固なものにしていかなくてはなりません。システムは効果的に動いていて、 ほとんどの人々がその恩恵を受けています。これを変えるなど、あってはならないことなのです。

2011. 08.04. 大阪にて ノルウェーの19歳、S.M.   



No.137 ( 2011.7.23 )


  週刊文春の記者から携帯に、「『A3』に対して、事実を書いていないとの批判があります」との連絡があったのは、父親の通夜の日だった。 「どんな批判ですか」と訊ねれば、「一連の事件は弟子が暴走したとの森さんの論に、早川さんや岡崎さんや林さんたちが、事実とは違うと訴えているとのことです」との返事だった。

  どうもよくわからない。彼ら三人は死刑確定者だ。 外部交通が制限されているのだから、編集部に訴えることは簡単ではない。 それに岡崎さんと林さんからは(支援者を通じて)、『A3』への熱い感想が届いている。 そもそも彼らが僕の見解に対して違和感を表明していることは『A3』においても明らかにしているし、 何よりも一審弁護団が主張した「弟子の暴走論」に、僕は全面的な同意などしていない。 『A3』を読んだのならわかるはずのことだ。

  でも同時に考えた。そもそも『A3』は、多くの批判や反論を覚悟した書籍だった。 でも半年前の刊行から現在に至るまで、メディアとこの社会からは見事に黙殺された。 受賞を契機に論戦が始まるのなら、それはむしろ「望んだ事態」のはずだ。

  4日後に週刊文春7月28号が発売された。 「オウムを描いた受賞作に弁護士、元信者が大批判」と題された小さな記事だった。 批判する人物は、「滝本太郎弁護士」と「ジャーナリストの青沼陽一郎氏」の二人だった。

  読み終えて力が抜けた。反論する価値もない。記者は僕が電話で言ったことをほぼそのまま活字にしてくれていた。 それは評価する。でも二人のこの批判は、そもそも記事にするようなレベルではないと思う。

細かな言及はしない。でもこれだけは言いたい。ある事象についてABCの三人に話を聞いたとして、 Aさんの見解と違う解釈を書いてはいけないのだろうか? ならば作品の主体性とは何なのか? この批判そのものがジャーナリズムや表現の本質を何も理解できていないということに、二人はなぜ気づかないのだろうか。

No.136 ( 2011.6.17 )


  たまたま中国に滞在しているアメリカの知り合いから連絡があった。

このHPを中国でチェックしようとしたら、ブロックされていてアクセスができないという。

チベット関連のサイトを見ようとするときに起きる現象と同じとのこと。

光栄のような心外のような複雑な気分。でも何でだろ。

No.135 ( 2011.5.20 )


  大阪の旧い友人で゜『A』公開時にはずいぶんお世話になった「かんこさん」に、二週間ほど前にばったり再会した。 相変わらずパワフルだった。その「かんこさん」からメールが来た。本人の承諾を得たので以下に貼ります。

先日、大阪は「日本でいちばんファシズムが進んでいる」と冗談半分でお伝えしたばかりだけど、それが現実になりそうです。 国歌斉唱時に起立しない教職員の実名と学校名を公表することを検討していると、橋下府知事が記者会見で発言しました。 今朝(19日)の関西の新聞には載っています。監督管理者である校長の名前も出すそうです。 もちろん起立しない教師だけでなく校長も懲戒処分。これって五人組の論理やわあ。でも東京や名古屋の新聞には、名前公表までは載ってないみたいですね。

府議会に条例が提出されれば、間違いなく多数決で通ります。

去年4月から1年で、なんと知事部局だけで6人も自殺やそうです。でも知事は議会でこのこと質問した自民党の議員に、逆切れして怒鳴ったらしいです。 「大阪府職員自殺」で検索していただいたらいっぱい出てきます。

今回のことも脱原発発言も、現場の職員にはまったく知らせず記者発表しています。彼にとって府職員は、単なる「部下」で末端の「手足」なのでしょう。 怖いものなし。なぜなら多くの人から支持されているから。読売テレビは完全に橋下応援団です。

やっぱりファシズムは多数決から始まります。

No.134 ( 2011.5.4 )


  この殺戮を国際法的にどう解釈するのかという次元はとりあえず措く。 そのレベル以前に、非武装で家族と共にいた彼を奇襲して殺戮することで、なぜこれほどに歓喜できるのだろう。 なぜ拘束して裁判にかけるという発想が欠片もないのだろう。そしてほとんどのメディアは、なぜその違和感を持たないのだろう。

だからやっぱり思う。想起する。この国で同じような状況に置かれている男のことを。

No.133 ( 2011.4.3 )


  一昨日、被災地取材から戻りました。

福島原発から直線距離で8キロの地点(大熊町)で車がパンクして、
降りしきる雨の中、やむなく車外でタイヤ交換。被爆したかも。

同行していた綿井健陽さんは被災地では「大規模空爆でもこれほどの破壊はありえない」と、
そして原発周辺では「銃弾よりもはるかに放射能のほうが怖い」とつぶやいていました。

とにかく今はただ、見て聞いただけ。これからどうすべきか、映像化と言語化の双方で考えます。

No.132 ( 2011.3.20 )


  頑張らなくても生きてゆける人たちの「頑張ってください」との声が、今は頑張らなければ生きてゆけない人たちに対して、 いかに残酷で身勝手で自己陶酔的であるかは知っている。

でも今、僕が発することができる言葉はこれしかない。他には何も浮かばない。心から願う。そして祈る。頑張ってください。負けないでください。

No.131 ( 2011.2.5 )


  僕は今まで自作の宣伝について、どちらかといえばあまり積極的ではなかったと思う。 つまりカッコつけていた。

でも今回は違う。僕にとってはオウムについての完結編。本当に気合いを入れて書いた。必死に書いた。 いまだに何もする気が起きないくらい。

オウムについての完結編ではあるけれど、テーマはオウムではない。読んでほしい。そして知ってほしい。 いま我々が暮らすこの社会が、いかに歪で奇妙な空間になっているのかを。 そしてその原点にあるはずの麻原彰晃とはいったい何もので、今はどんな状態にあるのかを。

No.130 ( 2011.1.9 )


  年末にベトナムに行ってきたという紺野真奈美さんからメールが来た。 クォン・デのお墓が新しく建立されていた。びっくり。僕が行ったときは残骸しかなかったのに。 おそらくアン先生が尽力したのだと思う。

ただしこの立派な墓に埋葬されているのは、相変わらずクォン・デ一人だ。 恋い焦がれ続けながら遂に再会できなかった王妃レーティは、やっぱり傍にいない。 早く一緒に眠らせてあげたい。でももしかしたら、僕が「クォン・デ」を書いたから (ベトナムでアン先生やお孫さんたちと出会ったから)、ベトナムにおける彼の評価が 変わったという可能性はある。だから自分を慰める。日本国内ではほとんど 評価されないまま絶版状態の本だけど、ならば書いた甲斐がある。

ここまでの文章の意味がわからない人は、是非本を手にして読んで下さい。 僕にとってはとても大事で重要な一冊。

No.129 ( 2011.1.3 )


  明けましておめでとうございます。
昨年は多くの人にお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

No.128 ( 2010.12.7 )


  11月26日の『A3』刊行後、すぐにNYに来てしまったので、 その後の状況がよくわからない。
黙殺されるjことは『A』と『A2』のときにたっぷりと味わった。 だから映像版『A3』の撮影を断念した。
辛かった。苦しかった。もうあんな思いはしたくない。 今の自分にとっては全力で書いた本。一人でも多くの人に届きますように。 そして事態が少しでも動きますように。

No.127 ( 2010.12.1 )


  いまNYにいる。
来て早々(というかJFK空港に着いた直後)、あわや強制送還されそうになった。
とにかくアメリカのセキュリティ状況はすさまじい。取り調べは3時間を超えた。
なるほどこうして冤罪は作られるのかと勉強になった。
行ったり来たりで落ち着かない。帰国予定は12月10日。

No.126 ( 2010.11.22 )


  2004年2月27日、元オウム真理教の教祖である麻原彰晃被告に、東京地裁104号法廷で死刑判決が下された。 僕にとっての『A3』はここから始まった。それから6年。この11月26日にやっと世に出せる。 ただし活字だ。映像ではない。でも読んでもらえれば、映像ではなく活字となった理由については、 きっと納得してもらえると思う。

『A』と『A2』のタイトルには、実のところ明確な意味はない。 タイトルとして内容を要約したくなかったのだ。だから本音としては、 『A』でも『B』でも『Z』でもかまわない。ある意味で無理やりに付けたタイトルだ。 でも今回は違う。"A"に意味を込めた。

なぜサリン事件は起きたのか。その後にこの社会はどのように変わったのか。 とにかく今思うこと、今知ること、今知ってほしいことをすべて書いた。 今の気分としては、オウムについてはこれで完結できたと思っている。

No.125 ( 2010.10.27 )


  友川カズキ良い。とてもとても良い。帰国後は毎日聴いている。もっともっと多くの人に聴いてほしい。

No.124 ( 2010.10.16 )


  数日前のことだけど、ロフトグループ総帥の平野悠さんから携帯に電話があった。 明日からひかりの輪で修行しようと思うのだけど、まずいかなあ、とのこと。いかにも平野さんらしい。

「やってみたいんでしょう?」

「うん。やっぱりなぜあれだけの人たちがオウムに引き寄せられたのか、それを知りたいんだよ」

まずいことなど何もないと思いますよと僕は伝えた。ただし影響力のある人だから、 世間からは批判されるかもしれない。そう言えば「その覚悟はしている」との返事。 ならば問題ない。今ごろはもう修行しているのかな。報告が楽しみ。
急な話が来て20日から25日まで海外。ジェームズ・ナクトウェイに会ってきます。 24日の星陵会館は斉藤貴男さんにお願いした。他にも約束をキャンセルしてしまった方々申し訳ないです。

No.123 ( 2010.10.3 )


  ポール・サイモンは、「人は大地に縛られて、この世界で一番悲しい音をたてる」と歌った。

誰も住んでいないのに、なぜ人は土地や境界の問題に、これほどムキになるのだろう。 そう訊くとほとんどの人が、「だって海洋資源があるじゃないか」と言う。仮にそうならば、 島は渡すけれど埋蔵している資源の何%をバーターにするとか、共同開発するとか、大人の対応や 方策はいくらでもできるはず。そのために外交がある。境界を主張するばかりでは幼稚園児以下だ。 どちらが正当な所有者かと争っても、歴史をどこで区切るかで解釈はいくらでも変わる。

この問題についての今の中国と日本に共通していることは、それぞれの政府が、その背後で燃えあがろうと している民意をとても気にしているということだ。つまりポピュリズム。

日本の国土面積は世界60位だけど排他的経済水域の面積は世界6位。中国の五倍以上ある。 だからというわけじゃないけれど、こんなときに屈辱とか恥辱とか危機とか安易に口走る政治家には要注意だ。

No.122 ( 2010.9.8 )


  自身の書籍で好きな作品は?とよく訊かれる。そのたびに考え込む。 もしかしたらそのときによって答えは違うかもしれない。でも「クォン・デ」は間違いなく、 思い入れがとてもある作品だ。

ところが売れない。悔しく、そして悲しい。単行本も文庫も初版で終わり。 読んだ方からは「傑作だ」とよく言われるのだけど、流通していないのだからどうしようもない。 版元である角川書店からは、今のところ重版の予定はないと連絡を受けた。 つまりこのままでは絶版になる。 身も蓋もないことを書くけれど、 自分がもっと著名な作家なら、とつくづく思う。

少なくとも「クォン・デ」については、(もしも重版してもらえるなら)印税はなくてもいい。 できることなら無料で配布したいくらい。一人でも多くの人に読んでほしい。 クォン・デについて知ってほしい。

No.121 ( 2010.8.13 )


  夏はさびしい。暑ければ暑いほど、やがてこの季節が終わることを考えてしまう。 しおれかけた向日葵や路上に転がる蝉の死体を見るたび、この季節はもうすぐ終わると考える。 秋は秋で好きだけど、でも始まりを待つという気分になれない。 日一日と終わりに近づいているという感覚がある。

子供のころ、夏休みが始まると同時にさびしかった。いずれ終わるからだ。 いってみれば毎日がカウントダウン。その感覚は今も続いている。ずっと夏だけの場所で暮らしたい。

No.120 ( 2010.7.27 )


  数ヵ月このコラムで、足利事件の菅家さんをなぜ菅家被告と呼ばないのかと書いた。 特例は特例であっていい。でもこのときに必要なのは特例であるとの意識だ。 なぜなら特例とされないままの特例は前例になるからだ(無罪推定原則に則りながら、 被告をすべて「さん」づけにするというのなら賛成する)。

金賢姫元死刑囚に対してのこの国の特例については、その意味では否定しない。 中井公安委員長は東京の上空をヘリで遊覧飛行させたことについて記者から質問されて、 「何が悪いのか」と言いながら、「(彼女は)国外に出れないのだからかわいそうじゃないか」 というようなことを言った。

国外どころか、生きているかぎり拘置所の施設内から一歩も外に出れない人もいる。 「かわいそうじゃないか」という善意がいかに不公正で政治的であるかを (米韓軍事演習も含めて、今の北朝鮮へのプレゼンスはあまりに露骨だ)、 国民も為政者もちゃんと自覚しているのなら、こんな特例もあっていい。

No.119 ( 2010.7.01 )


  テレビ業界にはマイフンという業界用語がある。漢字にすれば毎分。 要するに一分毎の視聴率だ。いつごろから導入されたのかわからないけれど、 僕が業界に入ったころにはすでにあった。先輩ディレクターたちの多くは、 「マイフンがわかるようになってからテレビはだめになった」とよく言っていた。 視聴者への迎合(ポピュリズム)が圧倒的に加速したのだ。リモコンと並び、 テレビをだめにした二大アイテムだ。

ここ数年、現政権に対しての支持率調査が、とても頻繁に行われるようになっている。 つまり毎分だ。低視聴率の番組は1クールを終えずに打ち切られる。 刺激と即効性ばかりが求められる。

この帰結として、腰を据えた政策ができなくなった。とても深刻な事態だ。
これほどに支持率調査が頻繁に行われるようになった背景には、「自分の感覚は ともかくとしてみんなはどう感じているのだろう」という意識が働いている。 周囲が気になる。つまり集団化。一人よりも集団で動いたほうが気持ちがいい。 エクスタシーがある。

昨夜のサッカー決勝リーグとお揃いの青いユニフォーム姿で応援する若者たちの様子を テレビで眺めながら、そんなことを考えた。まあ試合は面白かったけれど。

No.118 ( 2010.6.17 )


  主張や思想を訴える自由は保障されるべきだとするならば、 主張や思想を訴える自由はないとの主張や思想を表明する自由も保障されるべきだ。

つまり、表現の自由を主張するならば、表現の自由などないとの主張を表現する自由 もまた(圧力によって)阻害されるべきではない。つまり全方位なのだ。 だからこそ表現の自由は、肖像権やプライバシー権と衝突する。利害と絡み合う。 ぎりぎりと摩擦する。つばぜり合いを起こす。線を引くことなどできない。

今回の「ザ・コーブ」上映中止騒動における最大の問題のひとつは、一部右派による 「表現の自由などないと」との主張が、身体的な暴力を匂わせる恐喝や恫喝まがいで 行われたということだ。配給会社の社員の自宅を包囲してその家族に対しての恫喝を するなどの行為は、明らかに一線を踏み外している(その意味では、 テロという言葉が適合するのはむしろ彼らの側だ)。

そして今回の騒動における最も重要な本質は、本来は衝突してぎりぎりとつばぜり合いを するはずの権利や自由の領域が、以前とはまったく変わってしまっているということだ。 「靖国YASUKINI」騒動の際には、「これくらいで上映中止して右翼もびっくり」と 鈴木邦男さんが言ったけれど、今回の事態はもっと進んでいる。閾値が明らかに後退している。

キーワードは危機意識。つまり高揚する不安や恐怖。その帰結として、 リスクを回避しようとの気持ちばかりが強くなる。映画館や大学の担当者が 『万一の事態を憂慮して』と本気で思っているのなら、交通事故も怖いし隕石が 落ちてくる可能性もあるから、その人は家から出ないほうがいい。リスクなどいくらでもある。 重要なことはその見積もりだ。でも近年、危機意識が激しく上昇する過程と並行するように、 この見積もりの値が急激に低くなっている。

No.117 ( 2010.6.6 )


  5日に帰国。日本の総理大臣はそのあいだに、鳩山から菅に変わっていた。 もう30年近くワシントンDCに暮す加藤さんは、「こっちから見ていると、 日本のメディアは首相が変わるたびに足を引っ張ることを繰り返していて、どうかと思う」と 僕に言った。どうかと思うのは加藤さんが日本人だから。ほとんどのアメリカ人はもはや関心すらない。

No.116 ( 2010.5.21 )


  口蹄疫が自然治癒することはけっこう知られている。 もちろん死ぬ場合もあるけれど、それは風邪と同じ。確かに感染力は強いけれど、 人には被害はない。以下に日本獣医学会がweb公開している感染症の記事からの抜粋を引用する。

1892年から、発病した動物とその周辺のすべての動物を殺処分する方式(stamping out)が始まりました。

ところが、1920年代に起きた発生では、殺処分対象の動物数が多くなりすぎて、 順番が回ってくる前に回復する動物が出始めて、農民は殺処分に疑問を持つようになりました。 殺処分するか、それとも口蹄疫と共存するかという議論が起こり、議会での投票の結果、 わずかの差で殺処分が勝ったと伝えられています。これが現在まで続いているわけです。

1951~52年の大流行では殺処分の費用が30億円に達しました。これが議会で取り上げられ、 チャーチル首相がフランスのようにワクチン接種を中心に防疫を行った国の場合よりも、 はるかに低い金額であると弁明したと伝えられています。

1957年、OIEは口蹄疫予防のための国際条約を作り、これをきっかけとして 殺処分方式が国際的に定着してきたとみなせます。

殺処分方式を最初に始めた英国は、徹底してワクチン接種を回避してきています。 1967-68年の大流行では634,000頭が殺処分され、ワクチンは用いられませんでした。 これに反してオランダは殺処分と発生地域周辺の動物へのワクチン接種(ring vaccination)を 併用してきており、今回の発生でも早い時点でワクチン接種に踏み切っています。 次に述べるように口蹄疫ワクチンの開発で中心的役割を果たしたのはオランダの研究者でした。 そのような背景もかかわっているものと思います。

山内一也東大名誉教授(執筆時)

数日前に鳥越俊太郎さんが「人に感染しない、食べても大丈夫。 ならば、なぜ(殺処分など)そこまで厳重にするのか」とテレビで言ったとして、 ずいぶん批判されているようだけど、これについては僕も同意見。 殺処分の前にもう少し考えたほうがいい。 確かに牛や豚は経済動物だけど、あまりに無感覚になりすぎている。

26日から取材でアメリカ。4日に戻ります。

No.115 ( 2010.5.9 )


  冷戦時代に生まれた抑止力という言葉が突然息を吹き返している。 まるで錦の御旗だ。言葉の前に多くの人がひれ伏して、その内実を考えようとしていない。 ハザード(その事態が起きたらどうなるか)ばかりで、リスク(その事態が起きる可能性)と コスト(その事態を抑止するためにいまやらねばならないこと)についての観点がほとんどない。 たとえば「ならば海兵隊は沖縄ではなく韓国に駐留すべきでは?」との疑問を口にする人も (テレビを見ているかぎりでは)ほとんどいない。

ならば訊きたい。もしも宇宙人が日本に攻めてきたら誰が日本を守るのですか?

No.114 ( 2010.4.19 )


  核安全保障サミットで、鳩山首相はオバマ大統領との直接的な対話を希望した。 でも結果として与えられた時間は10分間(しかも非公式)だけだった。これに ついてほとんどの メディアは、「軽視された」とか「アメリカは(普天間問題で)あきれている」などと報道して いるけれど、でもそもそも核をテーマにしたサ ミットで、アメリカがインドや中国と優先的に 対話することは当たり前だ。40カ国以上が参加したこのサミットでは、オバマと直接的な対話を しなかった首脳 のほうがはるかに多い。

日本を軽視しているわけではない。冷戦構造が完全に終焉した今、アメリカにとって 普天間問題の優先順位は低い。一部を除きほとんどの議員は、この 問題が存在している ことすら知らないとも聞いている。確かにワシントンポストは「最大の敗者」と 鳩山首相を揶揄したけれど、それは日本のメディアの対応も 含めての論評だ。

なぜこれほどに騒ぐのだろう。声をかけられたとかこっちを見てくれたとか、 まるで憧れのスターに群がるグルーピーか、クラスのいじめっ子の顔色を うかがういじめられっ子のようだ。

No.113 ( 2010.4.9 )


  埼玉県飯能市の山中に犬や猫の死骸が捨てられていた事件だけど、 これほどに大きく扱うべきニュースなのだろうか。ワイドショーレベルでは まだ仕方がないとしても、少なくともNHKのニュースが、容疑者の顔や名前を これほどに大きく扱うことの理由がわからない。

世相はニュースのプライオリティで形成される。そのプライオリティが、 とても情緒的・刹那的になっている。この事件をこれほどに大きく扱う時間や 紙面スペースがあるのなら、伝えるべきニュースは他にたくさんあるはずだ。

No.112 ( 2010.3.27 )


  犯罪心理学者で精神鑑定の大御所である福島章(上智大学名誉)教授は、 かつて足利事件の被告だった菅家さんを「代償性小児性愛者」であると鑑定し、 有罪へと導く大きな要因を提示した。その責任はきわめて重い。 でもこれを追求する姿勢はメディアに薄い。

警察や検察が杜撰で誘導的な取調べを批判されるのなら、福島教授だって 批判されなければならない(ある意味でもっと悪質だ)。個人攻撃などのレベルではなく、 刑事裁判における精神鑑定がいかに危うい領域であるか、そして一部の御用学者が いかに捜査側に都合のいいような鑑定書を書いているか、せめてこの二つだけでも、 この社会はもっと実感するべきだと思うのだけど。

No.111 ( 2010.3.18 )


  あまり人の悪口を言ってはいけませんと幼いころから母親に 言われていたので、できれば言いたくないけれど、でもこれは悪口ではなくて批判だ。

鳩山邦夫さんって、なぜこれほどに思慮が足りないのだろう。

No.110 ( 2010.3.12 )


  もし今時間の余裕があるのなら、反捕鯨団体シー・シェパードの活動家 (アディ・ギル号の船長)で調査捕鯨船にたったひとりで乗り込んできたピート・ベスーンを 被写体にしたドキュメンタリーを撮りたい。

捕鯨についての僕の意見はとりあえず措く。調査捕鯨船が入港した晴海ふ頭では、 彼に抗議する団体が日章旗を掲げながら「日本文化を侮辱するな」、 「SSは地球から出て行け」などと激しい抗議活動を繰り広げたという。

これからは取り調べが始まる。だから撮りたい。彼の視点から見た日本社会。誰か撮ってくれないかな。

No.109 ( 2010.2.22 )


  たまたまテレビで見たバンクーバー五輪中継のカーリングの試合が 面白くて、すっかり引き込まれている。そんな人はきっと多いと思う。僕もその一人。 最初は奇妙な競技だと思っていたけれど、知れば知るほど奥深い。

メディアの扱いも日ごとに大きくなったけれど、でも「クリスタル・ジャパン」という 愛称はどうなのだろう。「チーム青森」でいいのに。女子サッカーの「なでしこジャパン」の ときにも感じたけれど、何だか幼稚園のクラス分けのようだ。たとえば女子カーリングの ロシアやドイツのチームが、それぞれ自国ではパンジー・ロシアとかダイヤモンド・ドイツなどと 呼ばれていたら、ずいぶん幼稚だなあと思うはずだ。

誰も気にならないのだろうか。まあ、どうでもいいことではあるけれど、 未成熟はこの社会を解析するうえでキーワードかもしれない。

No.108 ( 2010.2.11 )


  1月14日、昨年(2009年)起きた殺人事件の認知件数を、警察庁は発表した。 その総数は1097件。これまでの戦後最小記録だった2007年の1199件をさらに下回った。

暴行や傷害、恐喝など、粗暴犯も含めての刑法犯全体も、前年比6.3%減の約170万3千件。 七年連続の減少だ。さらに殺人事件の検挙率も、前年より2.7ポイント上昇して98.1%となった。 これは戦後三番目に高い記録だ。

警察庁のこの発表から三週間ほどが過ぎた2月6日、内閣府は死刑制度に関する世論調査の結果を発表した。 死刑制度を容認する回答は、前回調査(04年)の際の数値を4.2ポイント上回って、過去最高である 85.6%を記録した。廃止すべきだとの意見を持つ人は、前回から0.3ポイント減って5.7%。 存置を支持する理由の上位三つは、「被害者や家族の気持ちがおさまらない」、 「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」、そして「廃止すれば凶悪犯罪が増える」だった。

85.6%が死刑支持というデータはすごい。たぶん世界でもトップクラス。そして治安の良さも トップクラス。2002年度版の犯罪白書によれば、人口10万人あたりの年間における殺人発生数は、 アメリカが5・5件でフランスが3・7件、ドイツは3・5件でイギリスは2・9件、 そして日本は1・2件だ(ただし、警察庁がまとめる日本の殺人事件には予備や未遂に一家心中まで 含まれているから、実質は1.2の半分強の数値と推定される。つまり0.6)。

世界的にも最高の治安水準を保ちながら、体感治安の悪さは世界のトップクラス。 つまり被害者感情が飽和している。その帰結として厳罰化と死刑存置への希求が高揚する。 おそらくこのパーセンテージも世界のトップクラス。不思議な国だ。

No.107 ( 2010.1.27 )


  現在ほとんどすべての新聞・テレビ・雑誌が、足利事件における再審裁判を 報じる際に、菅家被告を菅家さんと呼称している。法廷において裁判長ですら、呼びかけは 「被告人」ではなく「菅家さん」だ。

でもこれはおかしい。刑の執行が停止されて釈放されたとはいえ、さらに冤罪はほぼ100%確実と はいえ、この裁判において彼は被告人の立場だ。つまり本来は、さんづけなどありえない。
警察や検察の不正を徹底して糾弾すべきであることは当たり前。人の命や人生をなぜこれほどに 軽視できるのだと、僕も怒りに駆られる。

でもだからこそ、メディアは歯を食いしばりながらも建前(手続き)を通すべきだ。 結果として正しいことはほぼ明らかだとしても、世相や情動に流されてルールや 手続きを軽視すべきではない。もしも今回だけを例外にするのなら、その理由と意味を公表し、 自らにも刻むべきだ。これを怠るべきではない。なぜなら例外として自覚しない例外は前提になる。 聖域を発生させる。手続きを軽視するようになる。

あるいはこれを機会に、容疑者や被告人すべてに「さん」づけをするのなら、文句はない。 その覚悟がないのなら、安易な迎合はしないでほしい。

No.106 ( 2010.1.13 )


  9年前に大工だった人は、いまの自分の仕事を大工とはもう言わない。 エンジニアの仕事を9年前に辞めて別のことをやっている人は、たぶんもうエンジニアじゃない。
そろそろ肩書きから「映画監督」を外すべきなのだろうか。憧れの仕事だし、 これから絶対に作らないと決意しているわけでもないし、何よりも「作家」とだけ名乗ることにも、 何となく違和感はあるのだけど(本音としては賑やかな肩書きのほうが落ち着く)。

No.105 ( 2009.12.15 )


  数日前、事業仕分けに反発する科学者たちの声明が、 朝日新聞に掲載されていた。それぞれの一部を引用する。

科学技術の進歩を著しく阻害し国益を大きく損なう(計算基礎科学コンソーシアム)

国家の土台を揺るがしかねない。(総合科学技術会議有識者議員8人)

国家存亡にかかわる重大な危惧(日本地球惑星科学連合)

科学技術立国の基盤の崩壊(9大学総長・塾長)

科学技術創造立国とは逆の方向(ノーベル賞受賞者ら)

研究費が削減されることに対して声明のほとんどは、「国家存亡」や 「国益に反する」などのフレーズを、慣用句のように使っている。
焦点は国の予算なのだから、国益や国家などの言葉が多くなることについて、 ある程度は理解する。訴求の相手は国会議員なのだから、 このフレーズが有効に働く場合も、確かにあるのかもしれないとは思う。
でもやっぱり「ある程度」だ。科学者からこれほどに臆面もなく、 国家や国益などと発言されると、何となく萎えてしまう。
本音は、別にあると思いたい。科学者ならば、「国家や国益、国境など どうでもいい。私はただ、万物の真理を知りたいだけなのだ」とか言ってほしい。

No.104 ( 2009.11.22 )


  イースター島は大雨だった。現地の人も異常気象だとあきれていた。
写真はめったに見れないモアイの後頭部。

No.103 ( 2009.11.2 )


  事件の容疑者かもしれない人を、いつから「女」や「男」と 呼ぶようになったのだろう。新聞を読んだりニュースを聞いたりするたびに、 何となくその悪意というか毒気に当てられたような気分になる。居丈高さを 感じてしまう。一言にすれば、「とても嫌な日本語の使い方」だ。
現時点では「事件との関与を捜査機関が疑っている」容疑者ですらないのだから、 せめて「女性」や「男性」で良いのでは、と思うのだけど。

「ねえどうしてこの人は『女』って呼び捨てにされているの?」
「悪いことをしたかもしれないからだよ」
「でもまだはっきりしていないんでしょう?」
子供にこう訊かれたら、僕はこの段階で口ごもる。「結局メディアは 菅家さんの事件から何も学んでいないね」などと言われたら、 すみませんと土下座するしかない。

週末から少し長めの海外。月末に戻る予定です。メールや携帯は、 基本的にはつながるはず。ただしあくまでも「はず」です。

No.102 ( 2009.10.5 )


  トルネコあきらめた。あれをクリアすることは僕には不可能だ。 戦士に転職したら武器が壊れる。パンがないから餓死する。 万策尽きた。もうどうしようもない。

No.101 ( 2009.9.23 )


  少し古いゲームだけど、「トルネコの不思議なダンジョン」の中の 「もっと不思議なダンジョン」がどうしてもクリアできない。メダルもひとつも拾えない。 これをクリアした人は存在しているのだろうか。

No.100 ( 2009.9.3 )


  ノルウエーでは多くの人に会った。多くの場所に行った。 そしていろいろ考えさせられた。刑務所のランチは美味しかった。 物価が高いのには参ったけれど。でも社会保障の充実振りを考えれば納得させられる。 メインのインタビュイーであるニルス・クリスティ(犯罪学者)は、僕に何度も言った。

「多くの犯罪者に会った。でもモンスターなど一人もいない」

この内容は10月上旬のNHKBS「未来への提言」で放送されます。

No.99 ( 2009.8.13 )


  さいたま地裁の裁判員裁判、全国二例目だけど、三日間すべて傍聴した。 台風と地震が重なったこともあってメディアの扱いは当初の予想よりは小さくなったけれど、 被害者と被告の主張がまったく相反する、とてもスリリングな法廷だった。

感想としては、やっぱりなあと思うこともあったし、意外な発見もある。 基本的な認識は変わらないけれど。
16日から22日まで、番組の取材でノルウエーです。メールはたぶんチェックできるはず。 あくまでも「たぶん」だけど。携帯も繋がるはず。これもやっぱり「たぶん」。 特に携帯は、かけたほうに電話料金が請求されるから、この期間はかけないほうがいいかも。

No.98 ( 2009.8.2 )


  テレビで「ゲゲゲの鬼太郎(劇場版)」を観た。 身に覚えのない罪で(物証もなく本人の自供もない。動機も不明だ)鬼太郎が妖怪裁判の 被告となる。証人として呼ばれた真犯人のネズミ男は、鬼太郎の犯行を目撃したと偽証する。 裁判長の大天狗が鬼太郎に釜茹での刑を宣告しようとしたとき、目玉のオヤジが、 「状況証拠だけで有罪にしないでくれ!」と叫ぶ。
できれば日本の最高裁にも来て、同じ台詞を言ってほしい。

No.97 ( 2009.7.4 )


  携帯電話のデータがすべて消えてしまった。こちらから連絡できない。
最近連絡が来ないなと思っている人、一報いただければありがたいです。

No.96 ( 2009.6.12 )


  1933年、国際連盟は満州における中国の主権を認めて、 日本の占領(満州国建国)を不当とする決議案を採択した。賛成42票で反対は 日本の投じた1票だけ。つまり国際社会による、圧倒的多数の決議だった。
可決直後、松岡洋右外相は演壇で「この勧告を日本が受け入れることは不可能」 とスピーチしてから、憤然と席を立って退場する。
こうして日本は国際連盟を脱退し、アメリカを共通の敵(仮想敵)とする 日独伊三国同盟を締結し、その後の軍事路線をひた走る。帰国した松岡は、 国民とメディアから大歓声を持って迎えられ、凱旋将軍と報じた新聞もあった。
これ以上は書かない。北朝鮮にとって仮想敵国になりかけている日本が今すべきこと、 考えるべきことを、近々会うことになった蓮池透さんと話し合うつもり。

No.95 ( 2009.5.29 )


  5月29日から行われる「ゆふいん文化・記録映画祭」に審査員として参加します。
6月1日からNHKの番組「課外授業ようこそ先輩」のロケで富山の高岡市に滞在。
少し長い離京です。京じゃないか。離葉。

No.94 ( 2009.5.22 )


  放送レポートの岩崎貞明編集長から、「例の北朝鮮のミサイル 発射問題だけど、ミサイルなんて言葉を使っているのは日本くらいだよ」と教えてもらった。 以下は彼のブログからの一部引用。

(略)ところが、海外のメディア、外電の類は逆にほとんどすべてが「ロケット」という 表記であり、韓国の報道でも「ミサイル」の表記は使用していなかったという。 そして、4月13日に出された、国連安全保障理事会が北朝鮮を非難した議長声明でも、 表現は「the recent rocket launch」(最近のロケット発射)となっていた (国連のサイトにあるニュースリリースより)。

でも日本の外務省は、この「ロケット発射」を、より軍事的ニュアンスの強い 「ミサイル発射」と翻訳した。その帰結として国民の危機管理意識は高揚して、 政府(麻生政権)の支持率が上がる。

その意味では、政府がミサイルという言葉を使いたがることは当たり前。 本来ならこれを監視して批判せねばならないはずのメディアが、 まったく機能していないことが問題だ。むしろ率先して、この言葉を使っている。 こうして仮想敵の危険性が強調される。次に来るのは敵基地攻撃論。 まるで漫画のような展開だ。

以下の本、まだ読んでいない。でも是非読まねば。
拉致―左右の垣根を超えた闘いへ

No.93 ( 2009.4.21 )


  イギリスのオーディション番組に出演した47歳の女性が、 世界中でとても大きな話題になっている。彼女の名前はスーザン・ボイル。 youtubeにアップされた彼女のデビューの瞬間の映像は、すでに1200万回以上も再生されている。 日本のメディアでもかなり取り上げられていて、NHKの7時のニューでも、 このオーディション番組の映像が紹介されていた。
ステージに登場するスーザン。その容姿と年齢に、あからさまに「まいったなあ」という 表情を浮かべる審査員。くすくすと笑う観客。でも彼女が歌いだすと同時に、 審査員たちは驚愕の表情を浮かべ、観客たちも沈黙する。歌い終われば万雷の拍手。

見事なやらせだ。おそらくはというか間違いなく、彼女の容姿とその歌声のギャップに 注目した番組制作者が、結果を予想して仕込んだストーリーなのだろう。

もっともスーザン自身は、自分のデビューにそんな演出が施されたことを知らなかった可能性はある。 もちろん観客たちのほとんども、そんなつもりではないはずだ。それにやらせと演出は紙一重だ。 その意味では、この番組自体を批判するつもりはない。でも(映像の専門職であるはずのテレビメディアも含めて) これほどに多くの人たちが、映像のトリックを無邪気に信じ込んでしまっている状況は、相当にまずいと思うのだけど。

No.92 ( 2009.3.30 )


  新幹線で駅弁を買った。紙紐を解いて食べ始めようとして、 紙蓋に貼られた表示にふと気がついた。

白飯や牛焼肉、しめじ煮や錦糸卵などの記載に加えて、調味料(アミノ酸等)、ph調整剤、 着色料(カラメル、赤102、赤106、カロチン)、香料、酢酸Na、グリシン、増粘多糖類、 甘味料(サッカリンNa、ステビア)、保存料(ソルビン酸K)、リン酸塩(Na)、グリセリンエステル、 (原材料の一部に大豆、小麦、サバ、卵を含む)と表示されている。読みながらすっかり食欲が失せた。 ほとんどが化学物質だ。まるでフラスコかビーカーの中にできた何ものかを、これから食べるような気分になる。

これらの化学物質の中には、流通や販売の過程で、混入することもやむをえない(たとえば 保存料とか)物質もあるのだろうとは思う。でも高校のころに化学はいつも赤点だった僕には、 どれがどんな働きをする物質なのかはさっぱりわからない。少なくとも赤106だのカロチンなど、 多少は色が悪くなってもかまわないから入れてほしくない。

でも結局は、消費者が安くて色が鮮やかで刺激の強い味を好むから、こんなことになるのだろう。 ならばこれは今のテレビといっしょ。つまり市場原理の帰結。だとしたら仕方がない。 多くの人がこんな弁当を望んでいるということなのだから、やめてくれとは言えない。 ぶつぶつと愚痴を言いながら自分で弁当を作るか、乗る直前に立ち食いうどんを食べるしかない。

No.91 ( 2009.3.13 )


  アレフの荒木浩さんにしばらくぶりに会った。また少し痩せたような印象だけど、 でもとりあえずは元気そうだった。シンポジウムの打ち上げ、二人で居酒屋の店先のテーブルの 端に座った。僕はビール。荒木さんは人肌のウーロン茶。そういえば「A」撮影中も、 静岡の居酒屋で同じような状況があった。そのときも彼は人肌のウーロン茶(氷が入っていたから、 律儀に一つずつ箸でつまんで出していた)。あれからもう11年が過ぎる。
霞ヶ関の駅で別れた。二人とも地下鉄。でも路線が違う。誰かに声をかけられたりはしないですか?と訊くと、 最近はさすがにほとんどないですとにこにこと笑う。去ってゆくその後姿を見送りながら、いろいろなことを考えた。

No.90 ( 2009.2.16 )


  現在川崎で開催されている「人体の不思議展」では、樹脂加工された本物の人体が 何体も展示されている。人体をプレート状に水平にスライスしたものや、生殖器を縦割りにされた女性、 さらには胎児の展示まであるという。彼らはすべて生前からの意志に基づく献体によって提供されたと パンフレットには書かれているようだが、こんなふうに見世物になることに、彼らがみな承諾していた とはとても思えない。それに胎児がどうやって承諾したんだ。

仮に日本国民が献体の意思を示しても、このように展示されることは現行法では不可能だ。 展示されている標本はすべて中国人だ。だから日本の国内法の適用を受けない。 これひとつをとっても、これほど公に展示できる催しなのだろうかと思ってしまう。

アメリカのメディアであるCBSやABCは、この催しの裏をかなり綿密に取材している。 標本は中国政府によって処刑された人たちのようだ。政治犯や法輪功の信者たちである可能性が高い。 もちろん断定はできないけれど、でも相当に胡散臭いことは確かだ。

とてもとてもおぞましい。でもそのおざましさに多くの人が気づかない。 日本の大新聞社やテレビ局は、取材どころか無邪気に協賛や後援に名前を連ねている。

No.89 ( 2009.1.30 )


  小六の長男と、Wiiスポーツのテニスと野球とゴルフとボウリングをやった。
始めるとそれなりに熱中した。特にテニスと野球はよくできていると感心した。
それから数日が過ぎるけれど、いまだに右肩が痛い。

No.88 ( 2009.1.5 )


  聖書で神の民とたたえられるイスラエル。でも今のこの状況はひどすぎる。 今も世界中に紛争や虐殺はいくらでも起きているけれど、今回のパレスチナ空爆はあまりに アンフェアで常軌を逸している。そして何よりも大きな問題は、そんなイスラエルの暴走が、 国際社会においてきちんと報道されていないこと。もちろん日本も同様。
元旦早々からニュースを眺め新聞を読みながらつくづく思う。どうして人はこれほどに近視眼的になれるのだろう。

No.87 ( 2008.12.28 )


  今年も終わり。下半期で少し体調を崩したので迷惑かけた人たちごめんなさい。 来年から少し仕事をセーブするつもり。よいお年を。

No.86 ( 2008.12.8 )


  12日配本予定の「東京スタンピード」見本ができあがった。 装幀の天野昌樹さん、編集担当の中野葉子さん、本当にありがとう。格好いいです。
3月にテレビ東京で「ドキュメンタリーは嘘をつく」の第二弾オンエアが決まった。 同じことは繰り返したくないので、プロデューサーの替山さんと某大物ディレクターと今、 いろいろ企んでいる。

No.85 ( 2008.10.24 )


  電車の中で僕の本を読んでいる人に初めて会った。年配の女性。 対面のシートに座りながら僕は落ち着かない。今すぐこの場から離れたいとの気持ちが3割5分。 このままじっとしていたいとの気持ちが3割。近づいて礼を言いたいという気持ちが2割5分。 近づいて本を引ったくって窓から放り投げてしまいたい気持ちが2割。・・・計算が合わない。 結局は何もしなかったけれど。

No.84 ( 2008.10.5 )


  実話ナックルズ11月号に、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」元副代表である 蓮池透さんのインタビューが載っている。かつて被害者遺族側のスポークスマン的な立場にいた彼が、 なぜいきなりそのポジションから身を引いたのか、これを読むとその理由がよくわかる。

このインタビューで蓮池さんは、家族を取り戻したいとの思いが、結局は「救う会」にシンボライズ される金正日体制崩壊を目標とする政治的イデオロギーに回収されてしまったこと、強硬な経済制裁が 何の実効力もないどころか逆効果の可能性もあること、拉致問題解決をめぐる安倍元首相の言質が 北朝鮮成敗を主張するメディアと民意に引きずられるように一転したこと、そして政治決着の局面を 常に(裏切る形で)反故にしてきたのは実は北朝鮮ではなく日本の側だったことなどを、 とても真摯な口調で語っている。

蓮池さんが語るその内容については、僕もずっと指摘してきたことだから驚かない。 不思議なのは彼のこのまっとうな主張が、大手新聞やテレビの報道番組などでは ほとんど紹介されないことだ。まったくないわけではない。でもほとんどない。

とにかく実話ナックルズは侮れない。

No.83 ( 2008.9.25 )


  留萌の夜は楽しかった。あがた森魚は、やっぱり傑出したミュージシャンだと思う。 ところが本人にはその自覚があまりない(ように見受けられる)。「僕の歌みんなの歌」にも 書いたことだけど、いつもいつも、新しいことや自分が興味を持てることを探して放浪し続けている。 それがまた彼の魅力でもあるのだけど、傍からずっと見ている立場としては、その不合理な新陳代謝が もったいない。でもやっぱりこの人の歌はいい。もしまだ未聴の人は、 ベスト版「20世紀漂流記」あたりをまずは聴いてほしい。「いとしの第六惑星」は至極の名曲。

No.82 ( 2008.9.9 )


  なんだか大相撲が大騒ぎ。ワイドショーのコメンテーター席に座って、 司会者に「森さん、この問題どう思いますか」と訊ねられて、 「べつに大麻くらいいいじゃん」と 答えたら大きな騒ぎになってしまった夢を見た。

No.81 ( 2008.7.31 )


  子供のころは暑さが大好きだった。暑いことが苦痛などと思ったことはない。 でも今年はさすがに応える。それほどに温暖化が進んでいるということなのか、 あるいは僕が歳を取ったせいなのかは微妙だけど。・・・書きながらふと思ったけれど、 温暖化という言葉は変えたほうがいいんじゃないかな。どうも切迫感がない。 高温化とか灼熱化とか熱帯化とか。

正しく真直ぐなものに対しては警戒せねばならない。 「地球に優しく」などの善意も同様。暴走しやすいから副作用は強い。 でも少なくとも地球環境については、少し過剰なくらいがちょうどいいような気がする。 壊れたら二度と復元はしないのだから。

No.80 ( 2008.7.31 )


  恐山の大祭に行った。イタコの口寄せを初めて体験した。 信憑性があるかどうかについてはともかく、イタコの数が激減しているとの話には、 まあそうだろうなとは思いつつ、やはりちょっと寂しかった。 数年前にイタコを被写体にしたドキュメンタリーを撮った杉本信昭(『自転車でいこう』の監督。 彼とは同じ高校のクラスメートでもある)から、 「ほとんどは怪しいけれど、すごい人が一人いた」と名前を聞かされていたイタコを探したけれど、 高齢のためなのか今回の大祭には参加していなかった。 寺の宿坊に泊まり、夜中と早朝には何度も温泉。身体中が硫黄漬け。

No.79 ( )


  (略)

No.78 ( 2008.7.8 )


  オウム事件で死刑判決を受けている新実智光さんから、 (支援者を経由して)メールが届いた。本人の了解を得たので、以下にそのまま貼り付ける。 これを読んだあなたが、何を思うかは(もちろん)自由。 僕もいろいろ思う。これを書いた新実さんも死刑囚だ。執行を覚悟している。 だからこそ思う。死刑の意味を。

親愛なる森達也さんへ
つつがなく、ご健康で、軽快で、力強く、安穏ですか?

6月17日に、山崎義雄死刑囚(73)=大阪拘置所収容陸田(むつだ)真志死刑囚(37)= 東京拘置所収容宮崎勤死刑囚(45)=東京拘置所収容の3名の方の死刑執行がありました。 被害者の方々と共に、執行され亡くなられた方々に哀悼の意を表します。

前回の岡下香氏に続いて、今回の宮崎勤氏も同じ舎房で、私の斜め奥の独房でした。 朝の朝食の配当はいつもの如く、懲役囚の清掃夫までいましたし、 出廷の連行も普段の如くでしたから、いつ連行されたのか気付きませんでした。

始めにおかしいと感じたのは、朝の願い事を舎房の責任担当職員が入り口近くの 私の舎房が終わった少し後ぐらいで、中断し、他の人の願い事をしないで、 いきなり宮崎氏の部屋の荷物を箱に積め始め、台車に乗せ始めたからです。 転房であれば、懲罰でもない限り、本来は収容者本人が部屋の整理をするはずですから・・・。

そして、その後の居室外において運動に連行する職員が、 いつもの顔ぶれと異なっていたのです。因みに次の日は元に戻っていましたが、 警備隊ですから、きっと宮崎氏の死刑執行に立ち会ったのだと思いました。 顔見知りになっている職員を立ち会わせるとは、何とも残酷なことだと思います。

実は、宮崎勤氏とは同じ舎房であっただけではなく、警察署に拘留されている時の 取調の警察官が同じ捜査一課の警視庁の人でした。因みに、三浦和義氏とも同じです。 その人は、雑談の中で、宮崎氏のエピソードとして、「○○さん(取調べ担当官の名前)、 今日は僕はカレーライスが食べたいですね。(利益供与でなく、本人の希望)僕は カレーライスが好きなんです。」云々と取調中に話して、その他の言動も含めて、 精神的に異常があるのではないか?と感じたそうです。

新聞では、一切の謝罪がなかった、と非難しているみたいですが、御門違いです。 本人の著書の「夢のなか、いまも」「夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白」の如く、 現実に生きていないというのか・・・。自分の為した事の重大さや意味を理解して いないように感じたそうです。私も10年以上同じ舎房で、時々私が通路を歩いてる 時に宮崎氏が窓を叩いたりして、注目するようにして挨拶をしてくれたりしてたのですが、 へらへらしていて、それが開き直っているとかというものではなく、 どこかしら精神的に異常があるのでは?と感じさせるものでした。

ですから、今回執行されたわけですが、宮崎氏本人は最後まで夢の中であった のではないか?と思っています。まあ、その意味では死刑に対しての恐怖とは 無縁であったから幸せであったのかもしれませんが・・・。

唯、そんな宮崎氏を死刑執行する意味合いが本当にあったのでしょうか? 疑問を抱かざるを得ません。死んで償う、とかありますが、宮崎氏本人は 多分そういった心理とも同じように無縁であったようにも感じます。

刑法には、精神異常者の死刑執行の免除規定がありますが、死文化されています。 国家が生命を軽視していくのと比例して、秋葉原の事件の如く、 他人を巻き込みながらの自殺が増えていくのではないか?と危惧しています。

日本の常識は世界の非常識と言われますが、国連でモラトリアムが決議された中で、 逆に日本だけは執行を増加させてます。不思議な国、日本はどこに行ってしまうのでしょうか?

弱い者ほど、決して相手をゆるすことができない。ゆるすということは、強さの証だから。
マハトマ・ガンジー

何も打つ手がないとき一つだけ打つ手がある。勇気を持つことである。
ユダヤのことわざ

私たちは、この世では大きいことはできません。
小さなことを大きな愛でするだけです。
マザー・テレサ

愛する皆様が幸せになりますよう心より祈ります。
悲しみは 意味なき死刑 繰り返し大切な生命 軽視する時
塞翁

三宝のご加護あれ
6月19日 愛と祈りを込めて 新實智光

No.77 ( 2008.6.22 )


  グレート草津さんが亡くなった。三年前に出版した「悪役レスラーは笑う」(岩波新書)の 取材のために自宅を訪ねたとき、昼間から焼酎割ワイン(というかワイン割焼 酎というか)を飲まされて、 草津さんと担当編集者の田中宏幸さんの三人で、すっか りへべれけになってしまった。
帰るとき、ふらつく足で僕と田中さんを見送りながら、「もう帰るのか」と寂しそう に何度も言った 草津さんのその表情が忘れられない。
できあがった本を送ったら、とても喜んでくれたという。もう一度草津さんの家に遊びに行こうかと 田中さんと話していたけれど、結局そのままになってしまった。

いつもいつも遅れる。後悔する。大事な人を亡くすたびにそう思う。

No.76 ( 2008.6.2 )


  昨日は長男の運動会。白組が勝った。最後に得点が発表されて白組の児童たちは 「イエー!」と大喜び。
で、ふと思う。「イエー」なんて歓声、いつから始まったのだろう。 僕が子供のころには少なくともこんな発音はなかったように思う。 ならばどんな歓声をあげていたのだろう。そもそも人はうれしいとき、 何といって声をあげるのだろう。思い出せない。まあどうでもいいけれど。

No.75 ( 2008.5.25 )


  僕はフライトの最終案内を待っていた。16時発のJAL183便関西国際空港行き。 ところが16時少し前に、「数名のオーバーブッキングがあったのでこのままではフライトできない」との アナウンスがあった。「30分後の伊丹空港への便に変更することを承諾してくれれば 1万円の値引きをする」とのことだった。

説明するまでもなくオーバーブッキングは航空会社の責任だ。でも今それを言っても仕方がない。 時間にゆとりがあるなら、手を上げてもいい。余得の一万円でおいしいものが食べられる。

ところがそのときの僕は、絶対に遅れられない予定を大阪に抱えていた。4時半発では困るのだ。 だから手を上げなかった。ロビーに待つ乗客は200名以上。きっと誰かが手を上げてくれるだろう。

ところが誰も手を上げない。アナウンスは何度も繰り返されるが全員が無反応。 そのあいだも時間は刻々と過ぎる。僕は一人で気が気じゃない。 周囲の乗客のほとんどは焦る様子もない。 時刻は16時25分を回った。たまりかねて僕は手を上げた。

結局183便が飛んだのは、予定を35分過ぎた16時35分だった。つまり全員が遅れた。 伊丹行きよりさらに遅れた。何が何だかわからない。乗客たちのほとんど(少なくとも 僕の周囲の人たち)は、焦るでもなく怒るわけでもなく、 何が起きているのか関心すらないというような気配だった。

遅れても問題ないなら、なぜ誰も16時の段階で手を上げなかったのだろう。 まるで「不思議の国のアリス」の世界に迷い込んだようだった。もしも僕が他国から来て あの集団の中に紛れ込んでいたとしたら、「日本人とはなんと理解不能な民族なのだ」と思うだろう。

周囲への同調。多数派への従属。思考の停止。論理や情緒の陥没。 これがもし「空気を読むこと」なら、僕はこれから先もずっとKYのままででけっこうだ。

No.74 ( 2008.5.14 )


  14日から18日まで取材で韓国に滞在しています。
緊急の場合は …(中略)…まで連絡お願いします。

No.73 ( 2008.4.30 )


  4月30日付でメルアドを変えました。更新の案内を一括で送ろうと思ったのだけど、 どうやってもできない。申し訳ないですが、急な用事がある方、このHPの管理人の宮澤さんまで moriweb@abox2.so-net.ne.jpメールを送ってください。

No.72 ( 2008.4.8 )


  4月10日(木)午後1時~3時、参議院議員会館の第2・3会議室で、 映画「靖国」の問題についての緊急記者会見を行います。僕も出席する予定。
この問題については、騒動の発端から劇場の自粛までの経緯は、表現への弾圧とか 政治の介入などのレベルではないと思う。こちらが恥ずかしくなるくらいに浅い。 でも自粛騒動以降、水面下でとても嫌な動きが自民党の一部議員にある。
いずれにせよ、客観的でなければドキュメンタリーではないとか、政治的メッセージが あるから問題とか、ドキュメンタリーというジャンルを短絡的に規定して蹂躙する 発言をここまでぬけぬけと表明するのなら、これに対しては徹底して抗わねば。

No.71 ( 2008.3.22 )


  今月号の月刊プレイボーイの特集記事「この人の書斎が見たい!」。
実は僕のところにも取材と撮影の依頼が来たのだけど、とても人様に見せられるような 書斎ではないので (だって二畳間なのだ。足もとにはうず高く資料や書籍とビデオテープに DVDが積み重ねられて、小さな机にはPCと撮影機材一式。書斎というより乗員一人用の コックピットだ) お断りした。でもいろいろな人の書斎を覗き見的に見ることは楽しい。 みなさん部屋が広くてうらやましい(中には一人だけ勘違いしているような作家もいたけれど)。
特筆すべきは吉田司。是非写真を見て記事を読んでください。 本当にこの人は人間国宝にしたいところ。そういえば一緒にアメリカに行ったときも、 この人はいつも寝転んでスーパーのチラシの裏面などに鉛筆で原稿を書いていた。

追悼アーサー・C・クラーク、カート・ヴォネガット、村木良彦さんに続いて、 またひとり、大好きな人が逝去。
ここのところ多い。そんな齢になってきたというところなのかもしれない。

No.70 ( 2008.3.6 )


  久しぶりの超能力。スプーンではなくフォーク。目の前で見た。 写真をよく見ればわかるけれど、柄を真横に曲げている。これは力じゃ無理。 所要時間は一秒以下。
でもトリックが絶対にないとは断言できない。その気になれば何だってできる。 つねにゆらいでいる。同定されない。だから惹かれてしまう。

  

No.69 ( 2008.2.13 )


  もっと頻繁にコラムを更新したほうがよいとよく言われるのだけど、 でもこのコラムに何を書けばよいのか、いつも悩んでしまう。
天下国家を論じる気力も素養もないし、身辺で面白いこともそれほどない。
CSのアニマル・プラネットを好きなだけ観ながら日々を過ごせたら、かなり幸せだと思う。

No.68 ( 2008.1.24 )


  追悼 村木良彦さま

いろんなことを教えてくれた方でした。とても穏やかで優しい人なのに、 とても激しくてラジカルな方でもありました。
手術は成功したと聞いていただけに悔しい。もっといろいろお聞きしたかった。
巨星墜つ。こんな古めかしい言葉を思い出した。ご冥福をお祈りします。

No.67 ( 2008.1.21 )


  JCの京都会議に呼ばれた。これまでも何度か講演やセミナーなどの 声をかけられながら、いつもなぜか直前にキャンセルされるという事態が続くJCだった けれど、今回は無事講演を終えることができた。このセミナーに参加していた 伊勢崎市議会議員の伊藤純子さんのブログの一文を引用する。

正直申し上げて‘左翼'と呼ばれる人を講師として迎え入れるということに 少なからず違和感を覚えましたが、人の話は最後まで聞くもの。 確かに森氏は変わった人ではありましたが、悪い人ではありませんでした。 「そういう見方もあるな」と思わせる内容の講演だったと思います。
http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/51488543.html

変わった人か。そうなのかな。悪い人ってどんな人なのだろう。いろいろ考える。




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