No.154 ( 2012.4.23 )


  拙著『A3』に対する脱カルト協会などからの抗議について、あるいは抗議の主体である滝本太郎氏と青沼陽一郎氏との論争については、 「創」連載の「極私的メディア」3~5・6月号で書きました。編集部の了解を得たので、このウェブサイトでも、まずは3月号と4月号を、 どなたにも読めるようにしました(5・6月号は数日後に)。

  掲載した文中にもあるように、彼らについての言及は、基本的にこれを最後にします(ただし青沼氏の「それも嘘ですから」については、 今後もそう断言した根拠を求め続ける。このまま返答がないのなら、新たな対応を考える)。

  数行前に「論争」と書いたけれど、そもそも彼らの抗議は、『A3』と森達也に対してネガティブな傷を与えることを目的とした誹謗であり、 結果として論争にすらならなかったと見なしています。ならばなぜ、ここに掲載するかといえば、「森は『A3』において麻原無罪を主張している」との彼らの見方が、 オウム後にこの社会が陥った二元論的な思考様式をとても端的に示していると同時に、「弟子たちは死刑にすべきではない。 彼らを洗脳して犯罪に加担させた麻原だけを死刑にすべき」との彼らの主張を、今のオウムをめぐる劣悪な考察のひとつとして取り上げるべきと考えたからです。

  『A3』に書いたように、早川さん、林さん、岡崎さん、新実さん、広瀬さん、そして中川さんの誰ひとりとして、処刑されるべきではないと僕は考えます。 他の確定死刑囚も同様。そして裁判途中から完全に精神が崩壊した麻原も例外ではない。 麻原一人だけを悪者にしたい彼らにとって、森や『A3』を攻撃することは持論の正当性を強調する手段でもあるのだろう。 でもだからといって、違う主張や意見を、あるいは他者を、これほどに口汚く罵倒することは許されないはずだ。 それは言論ではないし主張でもない。あまりに醜い。ネットの落書き以下だ。

  とにかく『A3』は僕にとって、渾身の一冊です。 ごまかしや捏造など一切ない。彼らの抗議が正当かどうか、麻原無罪などを本当に主張しているかどうか、あとは読む人に判断してほしい。

極私的メディア論 第66回 誘導される民意(『月刊『創』4月号掲載)
PDFファイル公開中

極私的メディア論 第65回 論争以前の二人(『月刊『創』3月号掲載)
PDFファイル公開中

No.153 ( 2012.4.16 )


  4月13日、袴田事件で死刑が確定した袴田巌死刑囚の第2次再審請求において、弁護側推薦の鑑定人のDNA型鑑定の結果が判明した。 犯行時の着衣についていた血痕のDNA型は、袴田本人とは一致しなかった。つまり証拠ではない。
  そもそもこの血染めの着衣は、事件から一年以上が過ぎてから、犯行現場となった味噌製造工場の味噌タンク内から発見されたものだ。 死刑判決の際に最も有力な証拠とされたこの着衣が本人のものでないということは、警察か検察が、事件後に証拠を捏造した可能性がきわめて高いことを示唆している。
  検察側推薦の鑑定人の鑑定結果はまだわからないが、もしもこれも一致しなければ、冤罪であることはほぼ明らかになる。獄中から彼が息子に送った手紙の一部を、以下に抜粋する。

息子よ。
  お前が正しいことに力を注ぎ、苦労の多い冷たい社会を 反面教師として生きていけば、遠くない将来にきっとチャンは、懐かしいお前のところに健康な姿で帰っていくであろう。
  そして、必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。
チャンはこの鉄鎖を断ち切って、お前のいる所に帰っていくよ。


彼は既に45年以上も拘置所に収監されている。意識の混濁は激しいようだ。だから思う。心の底から思う。一日も早く救いたい。自由にさせてあげたい。 お願いです。自由にしてください。太陽の光を浴びさせてください。草や花のにおいを嗅がせてください。 肉親や知人に触れさせてください。当たり前の判断を示してください。

No.152 ( 2012.4.10 )


  電車で、購入したばかりのHUNTER×HUNTER最新刊を読んでいたら泣きそうになって、しかも乗り過ごした。

No.151 ( 2012.3.31 )


  タイは暑かった。屋台の料理はどれもおいしかった。2キロ太って帰国して数日が過ぎた29日朝、三人の死刑囚が処刑された。

  その後に記者会見した小川敏夫法相は、「犯罪に対してどのような刑罰で臨むかは国民が決めること。 刑罰権は国民にあると思っている。国民の大半が死刑を支持し、とりわけ国民の声を反映させる裁判員裁判でも死刑が選択されている。 こういったことを重要な要素と考え、法律の規定通り法相の職責を果たすべきだと判断した」と述べたという。

  不思議なコメントだ。刑罰権は国民に帰属しない。それは国家の否定だ。 もちろん法相が口にした「刑罰権は国民にある」の意味は、国家を否定することではなく、死刑存廃は国民が決めるとの意味なのだろう。 そう解釈するしかない。多くのメディアは「国会会期中の執行は異例」との記述をしていたけれど、要は年度末だからだ。 道路工事が増えることと実相は変わらない。

  ・・・ここまで書いて、次の言葉をつづれない。国民の5人中4人が死刑を求めている。 僕はそんな国に生まれた。ただその事実に圧倒されている。

No.150 ( 2012.3.19 )


  19日から25日まで、タイで行われる映画祭に参加してきます。帰国は25日深夜の予定。
携帯は繋がるとは思うけれど高額なので、できればメールでお願いします。
バンコクの平均気温は34度。空港までどんな服装で行くか思案中。行ってきます。

No.149 ( 2012.3.2 )


  3月3日から『311』公開。いろいろ周囲が騒がしい。取材の依頼もかなり多い。本来なら答えるべきじゃない。 正確には「べき」ではなくて、作品について作品以外の場で語りたくない。作品が全て語っているはずだ。
でもこの作品は、ある程度の補足が必要な作品なのかもしれない。そう考えて、今は無理矢理に言葉を絞り出している。でもそろそろ沈黙しないと。 以下は共同監督の一人から、今朝送られてきたメールの一部。

> 前にも言ったと思いますが、この映画、相当にヤバいです。だからこそ存在理由があるのだと、今は思っています。


 そして以下は、創で僕が書いた反論について、滝本太郎氏がやっと触れたブログの一部。

> 今は諸般の事情から、とても対応する時間がないです。おって、するならしますからご容赦を。

 ならば待ちます。「するならしますから」は意味不明だけど。逃げる伏線とは思わないようにします。とにかく待ちます。

> 追加がなければ、ないのかな、と考える外なくなりますが。

 ご自由に。あなたがたにこれ以上反論しない理由は創で書いた。これ以上は書きません。
むしろ「麻原無罪を主張している」とのあなたがたの抗議の根幹について反論したのだから、まずはそれについての対応と見解を、あなたがたが示すべきです。
相変わらず青沼陽一郎氏から「それも嘘ですから」についての返答がないので、以下は引き続き貼ります。

  滝本太郎様 青沼陽一郎様 あるいは脱カルト協会の理事やその他多くの皆様

およそ半年にわたって続いてきたあなたがたの抗議、あるいは攻撃、あるいは悪罵に対しては黙殺し続けるつもりではあったけれど、 あまりに度が過ぎるので、これが最後のつもりで月刊誌『創』3月号に反論を書きました。滝本さまと青沼さまのお手許には届いているはずです。 僕が沈黙しているあいだは、それぞれのブログであれほどの嘲笑や悪罵を書き連ねてきたのに、今のところまったく触れてこない。

僕はもうこれ以上あなたがたに言及するつもりはないけれど、まさかそちらも黙り込むとは予想していなかった。反論できないのですか?  特に青沼さまは、『A』がテレビから排除されて映画になった経緯について「それも嘘ですから」と断定した根拠を、しっかりと明示してください。 あれほどに罵倒して記者会見まで開きながら、一回の反論で黙り込むなんてあまりに情けない。もしも反論できないのなら、「自分たちが間違っていた。 本を精読しないまま抗議した」ときちんと表明しなさい。それぞれ弁護士とジャーナリストという立場なのだから、その程度はするべきです。

世界は広い。そして人は多い。様々な意見や違う視点があることは当たり前だ。だからこそ議論をしたかった。こちらにも思い込みや間違いはあるかもしれない。 視野狭窄に陥った瞬間があるかもしれない。修正すべき点があるならば修正する。討論したかった。違う意見を尊重したかった。なるほどと納得したかった。 納得してほしかった。少なくとも僕は彼ら(滝本・青沼)に対して、討論は拒否しながらネットで、 「羞恥心はないのでしょうか」とか「って、アホか」とか「卑劣な嘘」などの言葉は使わない。これまで使ったこともない。(創3月号から引用)

正当な根拠のある抗議や批判ならば、こちらも謙虚に受け取る。しかしあなたがたは、自分たちが批判されている『A3』に傷を付けることだけを目的にしている。 だからこそ「麻原無罪や弟子が勝手にサリンを撒いたと主張している」などと存在しない論点を掲げて、討論を提案すれば筋が違うと逃げ、ネットで悪罵を書き連ねる。 そのレベルに自分を落とすつもりはない。とにかく以降は黙殺する。でも“けじめ”だけはつけなさい。

2012.2.20 森達也   


No.148 ( 2012.2.20 )


  滝本太郎様 青沼陽一郎様 あるいは脱カルト協会の理事やその他多くの皆様

およそ半年にわたって続いてきたあなたがたの抗議、あるいは攻撃、あるいは悪罵に対しては黙殺し続けるつもりではあったけれど、 あまりに度が過ぎるので、これが最後のつもりで月刊誌『創』3月号に反論を書きました。滝本さまと青沼さまのお手許には届いているはずです。 僕が沈黙しているあいだは、それぞれのブログであれほどの嘲笑や悪罵を書き連ねてきたのに、今のところまったく触れてこない。

僕はもうこれ以上あなたがたに言及するつもりはないけれど、まさかそちらも黙り込むとは予想していなかった。反論できないのですか?  特に青沼さまは、『A』がテレビから排除されて映画になった経緯について「それも嘘ですから」と断定した根拠を、しっかりと明示してください。 あれほどに罵倒して記者会見まで開きながら、一回の反論で黙り込むなんてあまりに情けない。もしも反論できないのなら、「自分たちが間違っていた。 本を精読しないまま抗議した」ときちんと表明しなさい。それぞれ弁護士とジャーナリストという立場なのだから、その程度はするべきです。

世界は広い。そして人は多い。様々な意見や違う視点があることは当たり前だ。だからこそ議論をしたかった。こちらにも思い込みや間違いはあるかもしれない。 視野狭窄に陥った瞬間があるかもしれない。修正すべき点があるならば修正する。討論したかった。違う意見を尊重したかった。なるほどと納得したかった。 納得してほしかった。少なくとも僕は彼ら(滝本・青沼)に対して、討論は拒否しながらネットで、 「羞恥心はないのでしょうか」とか「って、アホか」とか「卑劣な嘘」などの言葉は使わない。これまで使ったこともない。(創3月号から引用)

正当な根拠のある抗議や批判ならば、こちらも謙虚に受け取る。しかしあなたがたは、自分たちが批判されている『A3』に傷を付けることだけを目的にしている。 だからこそ「麻原無罪や弟子が勝手にサリンを撒いたと主張している」などと存在しない論点を掲げて、討論を提案すれば筋が違うと逃げ、ネットで悪罵を書き連ねる。 そのレベルに自分を落とすつもりはない。とにかく以降は黙殺する。でも“けじめ”だけはつけなさい。

No.147 ( 2012.1.25 )


  もし撮れるのなら、座礁した豪華客船の船長を叱り飛ばして英雄になった沿岸警備隊長ではなく、
叱り飛ばされた船長のほうを撮りたい。

No.146 ( 2012.1.10 )


  死刑判決が確定したオウム幹部のうち、僕は6人に会っている。 麻原は精神障害を起こしているのではないかとの僕の見立てについて、 彼らの多くは面会時に、決して積極的に同意はしなかった。 「詐病ではないか」と言われたこともある。 「なぜそう思うのか」と訊けば、「その程度はやる人だから」とのニュアンスで答えられたことを覚えている。

  被告席で大小便を洩らす。あるいは実の娘の眼の前で自慰行為に耽る。 普通の精神状態ならありえないと見なすべきこれらの行為も、彼らにすれば「尊師ならその程度は(簡単に)やる」との文脈で整合する。 2005年に麻原に面会した中島節夫精神科医が、顔や両瞼がピクピクと痙攣し続ける線維束性攣縮は意識的には困難な動作であるとしたうえで、 「脳の前頭葉から側頭葉にかけての領域が委縮しており、アルツハイマーの末期と同様の症状に陥るピック病も含めて、器質性脳疾患の疑いが強い」 と所見を表明したときも、「尊師なら線維束性攣縮くらいは簡単にやるだろう」と彼らは考えたはずだ。

  もちろん「その程度はやる」の意味は、「そういう悪辣なことをやる」と「そういう常人には不可能なことをやる」の二つの意味がある。 そしてこの二つは、「自分たちが身も心もささげた教祖が普通人と同じ規格のはずがない」との願望が根底に駆動しているという意味では共通している。 言い換えれば「尊師ならやりかねない」は、「麻原が最終解脱者であることを信じる」ことと、 あるいは「A3」のエピローグで中川智正さんが言った「…化けものです」と、位相はほぼ同じなのだ。

  ならば否定せねば。ただの人間だ。最終解脱などありえない。だからこそ無残に精神が崩壊した。その現実を見据えなさいと伝えたい。

No.145 ( 2012.1.1 )


  年末から風邪をひいて、ずっと臥せっていた。仕方がないのでテレビをかなり見た。 本当に劣化を実感する。特にバラエティ。あの笑い声とか驚く声とか、本当に必要なのだろうか。 加算しないことには視聴率が伸びないことは、かつて僕もさんざん体験した。 悔しいが減算すれば視聴者はチャンネルを変える。でも今のこの状況は、あまりに加算について億面がなさすぎる。

  オウムの平田信容疑者が出頭したことについて江川詔子氏が1日朝のフジテレビで、 「年明けにも執行されるかもしれないという教祖の死刑がですね、かなり遅れるという、 そういう意味を持つと思います」とコメントしている(引用ママ)。

  そこまで殺したいのかと嘆息すると同時に、彼女はオウムに襲撃された被害者でもあり、 坂本弁護士一家殺害事件については遺族的な心情も持つ当事者なのだから、 これほどの憎悪もある意味で仕方がないのだろうとは思う。問題の根源は、 報復感情に駆られた当事者的な感情を吐露する彼女のコメントを、 「ジャーナリスト」の肩書で紹介するメディアなのだ。

  他にも弁護士とか漫画家とか、襲撃された被害者でありながら、 そのコメントがその肩書とともに消費された人は大勢いた。 その帰結として被害者感情が全国民レベルで共有された。 こうしてオウム以降、厳罰化が激しく進行し、麻原法廷は一審だけで死刑が確定するという異常な事態になった (多くの人は異常とは認識していないけれど)。

裁判がまともに行われないのだから、麻原がなぜサリンを撒けと命じたのか、 その動機や理由がわからない。だからこそ不安や恐怖が刺激される。 だから善悪二元化が進行し、厳罰化はさらに促進される。・・・こうして負のらせん構造に、 1995年以降のこの国は陥った。

平田は長官狙撃事件など、いくつかの謎のカギを握るキーパーソンの可能性があると言われている (僕はその可能性は薄いとは思うけれど)。ならばじっくりと取り調べて裁判を適正に行うことは当たり前だ。 それは彼らのためではなく、僕らのためなのだ。




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