■巻頭コラム No.107
現在ほとんどすべての新聞・テレビ・雑誌が、足利事件における再審裁判を報じる際に、菅家被告を菅家さんと呼称している。法廷において裁判長ですら、呼びかけは「被告人」ではなく「菅家さん」だ。
でもこれはおかしい。刑の執行が停止されて釈放されたとはいえ、さらに冤罪はほぼ100%確実とはいえ、この裁判において彼は被告人の立場だ。つまり本来は、さんづけなどありえない。
警察や検察の不正を徹底して糾弾すべきであることは当たり前。人の命や人生をなぜこれほどに軽視できるのだと、僕も怒りに駆られる。
でもだからこそ、メディアは歯を食いしばりながらも建前(手続き)を通すべきだ。結果として正しいことはほぼ明らかだとしても、世相や情動に流されてルールや手続きを軽視すべきではない。もしも今回だけを例外にするのなら、その理由と意味を公表し、自らにも刻むべきだ。これを怠るべきではない。なぜなら例外として自覚しない例外は前提になる。聖域を発生させる。手続きを軽視するようになる。
あるいはこれを機会に、容疑者や被告人すべてに「さん」づけをするのなら、文句はない。その覚悟がないのなら、安易な迎合はしないでほしい。
2010.1.27. 森達也 |